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「よく言われる」について考えてみた(思いつきnote)

たまたまTwitterをサーフィンしていたら「・・・とよく言われる」というツイートをされている方を見かけました。男女に限らず言われる人は本当によく言われるのではないでしょうか。とりわけ男女の性別に関わることは多いのかなと思います。

本日は思いつきnoteと称して、ふと思ったことなどについて僕自身の思うところを書いていきたいなと思います。

例えば今日目撃したものとしては「〜職業〜だから〇〇と思われる/言われる」というものでした。いわゆるレッテル、というものでしょうか。女性であれば秘書さんといえばこんな服装〜とか、とかカフェ店員さんであればこんなイメージで〜、とかで、男性でもそういった「こういうイメージ」で「こうじゃないですか」と言われてしまうことは普段から常にあると思います。

ちなみに性別関係ないですが、私はよく、自分の実年齢を伝えると「もっと若いかと思った」としょっちゅう言われます。海外にいた時はほぼ間違いなく言われました。海外だけならまだしも、日本帰ってきても同じだったので、そういうことなんだろうなあ、とあまり気にしてはいません。

皆さんもご存知の通り、大抵は偏見ですね。もちろん当てはまる事例もあるからこそなのだと思います。結局は全く同じ人はいません。

何で、"良く言われ”てしまうのでしょうね。おそらくその方が楽なのでしょう。何が言いたいかというと、ついつい人って楽したくなっちゃいませんか、ということです。極端な話、初めて会う人に「男性ですか?女性ですか?」とはあまり聞かないのではないのでしょうか。

もちろん、これも場面によっては注意が必要です。

でも、必要なやり取りです。多くの場合自明なので言葉に出さないだけだと思っています。自明なことまで毎度言葉でやり取りすることは面倒ですよね。だから"イメージ”とか"パターン”が蓄積され、必要な時に引き出されるます。テストの問題解くような感覚に少し近いですね。ある問題に対して、過去の知識を振り返って最適解を記憶の何処かから持ってくる感じです。その際には例えば数学ならば「因数分解だから〜」と所定の記憶箱?とでも言える場所から蓄積した知識を取り出してきて人は問題を解きます。

話を戻します。人間関係においても、この傾向は良く起こります。それゆえ、「〜だと思う」ですとか、「〜のイメージ」という言葉に繋がるのかなと。

人は知らないこと、考えてもすぐに分からないことに直面するとストレスを感じます。避けたくなるのは当然の心理だと思います。他方で、常にそんなストレスに対面し続けることができるということは、おかしい、のではなく、そもそもの "分からないことに向き合う姿勢” そのものが一般的に理解されているそれとは異なるのではないかと思います。

これが、色々な物事がマニュアル化された環境の"その先”を生きる時に重要だと感じています。

〜これからは今までとは違う〜

おそらく、誰もが感じていることではないでしょうか。今までとは違うのに、マニュアル化ってどこまで有効なのでしょうか?管理する方からすれば楽かもしれませんね。マニュアル通りに事が運んだ方が"予想外の事態になる”というストレスを感じずに済むからです。

でも、それって楽しいでしょうか。誰も傷ついていないのでしょうか。とりわけ、これから仲良くなりたい!と思うその方を前にしてイメージ先行で話してしまって良いのでしょうか。本当に興味があるならば、ゼロベースで色々知り合って行く方が、楽しいと思います。

とはいえ、このゼロベースという点、実際にやろうとすると非常に大変です。ふとした瞬間に偏見が混じっていないかどうか、気にしながらになると思います(とりわけ慣れてない方であればなおさら)でも、これも気遣いです。

「あ、この人は〜っぽいとか言わないな、僕のことを理解しようとしてくれているな、本当に興味持ってくれているんだな」と感じられたら嬉しいです。

そうしてやり取りを通して「〇〇さんはこういう人」というそのやり取りをした人の間でのマニュアルを創り上げていく、これも人間関係構築の醍醐味ですね。そういう観点では、お友達は数がいれば、というよりも質を重視すべきですね。

色々な事が自動化されたり、マッチングで本来出会う事なかったかもしれない人と出会うようになりました。この傾向はさらにデジタルによっていくのだろうなとも思いつつも、そこで生きるアナログ力を磨きたいなと思う今日この頃。

今朝感じたことを書いてみました。今後も思いつきシリーズということで続けていきたいなと思います。

おかだ

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