あの日から完全試合まで
2022年4月10日16時30分48秒。プロ野球史上最年少完全試合達成投手が誕生した。今これを書いている私の他でもない最推し(なんて呼ぶのも恐縮だけれど)、佐々木朗希投手が完全試合はなぜ完全試合と称するのか、身をもって教えてくれた。まさしく、完璧。
さて、この試合のなにが凄いのかどう凄いのか。そういったことはOBの方々や他の詳しい方々が話してくれているので、私は私なりに、偉業達成までとこれからについて思ったことを書き連ねてみる。今しか書けないものを書き留めておきたい。
私が初めて佐々木朗希投手を観たのは、2019年4月6日。U18日本代表の候補合宿。新聞の端に小さく書いてあったらしい練習場所を知り合いに教えていただき、運良く見学できた。
そう、この日は高校生史上最速の163km/hを記録したと、野球ファンに知らしめた日だ。令和の怪物という二つ名のきっかけになった日でもある。
しかし、バックスクリーンのあるような場所ではなかったから、その場にいた私たちはリアルタイムで球速を知ったわけではない。でもだからこそ、佐々木朗希という人の凄まじさが伝わってきた。本質は数字を凌駕する。
すごいというより、怖かった。打てるわけがない球を投げていた。不自然な静寂、痛いほどの緊張感が場を包む中、2回6奪三振。この後プロに進んだ選手も含む世代の強打者たちをねじ伏せた。このときまだ、たったの17歳と5ヶ月。
今回完全試合を達成し、お昼のワイドショーまで佐々木朗希投手一色になったが、それ以前にも彼が全国レベルで報道されたことがある。163km/hの衝撃から3ヶ月と少し後のことだった。
2019年7月25日、選手権大会岩手決勝。マウンドに佐々木朗希投手はいなかった。
マイルドに表現すれば賛否両論。否の中には、前時代的で暴力的とさえ表現したくなる意見もあった。「甘やかすな」だとか。「『投げたいです』と言ってほしかった」だとか。
高校生だ。若さゆえの刹那的な思考もままあるだろう。精神的に危うい面もある青年期の前半に、投げたいという気持ちを抑えることは「甘やかしている」と表現してよいのだろうか。大きな声では言えないが、投げたいです!と要求して、投げさせてもらう方が余程甘やかしじゃないかと、私はひっそり思っている。
あの日に限らず、投げたくても投げられなかったことがたくさんあったはずだ。ままならない身体と気持ちのギャップに耐えた日も、高出力が出てしまう身体に恐れをなした日もあったはずだ。そんな日々も信念を貫き、鍛錬してきたからこそ今があるはずだ。
佐々木朗希投手と彼を支えてきた方々に敬意を表したい。
私は当事者ではないので、あの日のおかげで完全試合があるとは言えない。そうは思ってはいけないとさえ感じる。正解か、不正解かの二択に落とし込むべきものではない。
ただ一つ言えることは、あの日から完全試合まで、ずっと繋がっているということ。
そしてそのバトンは千葉ロッテマリーンズに渡された。試合では投げずにすごした1年目、上手くいったこともあればそうでないこともきっとある。まだ投げないのかと訝しむ声も大きかった。
オープン戦で実践初登板を遂げた2年目。間隔をあけながら、最後は優勝争いに貢献し、CS開幕投手も務めた。
満を持して開幕ローテ入りを果たした3年目、その3試合目。プロ通算にして14試合目で達成した、プロ野球史上最年少での完全試合。日本記録に並ぶ一試合19奪三振、日本記録を大幅に更新しMLBの記録をも上回る13者連続奪三振。
いや漫画か? 漫画でもないわこんなん。編集に盛りすぎやろがァ?って言うてボツにされるわ、こんなもん。普段より濃いめの関西弁も出るってこんなん。いや、ほんまに。
……失礼いたしました。取り乱しました。
完全試合のことをどうして完全試合と称するのか。この日のピッチングを観れば分かる。それでも、そこに至るまでがあまりに容易だった。容易だと感じてしまった。きっとこれで終わりじゃないと感じさせる、理解不能な余力のようなものがあった。
試合終了後かなりの時間が経過しても、そのまま同じ場所に座っていた。放心して、感嘆して、そのあと涙が出た。
以前、佐々木朗希投手のことをこう分析したことがある。
分かっていたつもりだが、全然分かっていなかった。もしかしたら理解しようとすることさえナンセンスなのかもしれない。
佐々木朗希投手を見ていると、今までのピッチングという概念が破壊される。
奪三振が多くても球数が増えないことは理論上証明されているらしいが、この天才はそれに実感をもたらしてくれる。机上の空論のままにはさせない。
球数的に打たせてとって欲しい気持ちも大いにあるのだけれど、3球三振が簡単にうばえるのだから、これでいいのかもしれないと思えてくる。
この登板の一週間前。8回を投げ13三振を奪ったときもかなり衝撃を受け、過去の様々な奪三振記録を調べたのだが、どれもこれも途方もない数字で、こんなのどうやって更新するんだ?という感想になった。
それを、こうやって更新するんだと見せつけられた。凡人の想像では絶対に追いつけない。常に刺激を受ける。
少々哲学的な表現になるけれど、まだまだ世界を認識していく過程の、頭の柔らかい年代である今、佐々木朗希投手を見られていることが幸せだ。
完全試合。野球に興味がない人の耳にも目にも、嫌でも入ってきただろう。野球IQなんかなくてもすごいと分かる魅力こそ、野球人気低迷の今、必要なんじゃないだろうか。
これから、佐々木朗希を見たいとZOZOマリンスタジアムへ、人々が押寄せるはずだ。期待が大波となってスタンドいっぱいに広がっていく。そしてきっとまた、それに応えて唯一無二の投球を魅せてくれる。
抜群に長い四肢が軽やかで、自由自在にどこまでも伸びていきそう。投げるまでを見ても、投げた球そのものを見ても美しい。そして、プレーから離れればハタチらしいかわいさもある。
もっともっと、たくさんの人が彼を知るべきだ。
未だに余韻が収まらない。すごいものを見た。一夜明けて様々な記事を読むと、直後には思い出さなかった今までの佐々木朗希投手の苦労を思い出して、また違う涙が出てきた。
でもきっと、彼の華々しいストーリーのスタートに過ぎないのだと思う。
結びに、完全試合後の佐々木朗希投手のコメントから、私の好きなものを抜粋する。
今年の目標は、一年間投げ続けること。今までよりもタフに活躍する姿を期待して、こちらも切り替えて応援しなければ。
改めまして、佐々木朗希投手、完全試合並びに数々の奪三振記録の達成、おめでとうございます。
酸いも甘いも応援する人こそファンだという論調が市民権を得て久しいけれど、それだけが正しいとは思わない。辛いときも苦しいときも応援してきたけれど、それで自分は偉いだとかは、当然だけど思わない。
でも、ただ応援しているだけの身なのに、悲しくて涙を流したことがある。悔しさを飲み込んだこともある。だからさ、こんなこと経験しない方がいいんだから!(というか、赤の他人にこんなに一生懸命になってるのもどうかしてる。どうにかさせられている。おかしいよ!)
今の姿を見てファンになった人、これからファンになってくれる人には、甘いところを存分に味わって欲しい。これからきっと楽しいことがいっぱいあるんだもの。嬉しいことばかりを噛みしめて欲しい。
もちろん本人にも、これから思うがままの道を歩んでもらいたい。すべてが佐々木朗希投手の理想に適って進むようにと、今日も私はそう願っている。
あの日――誰かにとっては初観戦かもしれないし、また誰かにとっては初めて名前を知った日かもしれない。一目見て彼に心を奪われた日かもしれない。それぞれのあの日から完全試合まで、きっとすべてが物語。
(了)
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