頭痛について 日記2024 9月3日

漫画のキャラクターみたいに夏休みが暇で仕方なくて、ぼんやり空を眺めていると何か楽しそうなことを思いつくということは自分には起きえないのだ、と気づいた。

ぼんやりするのにも作法がいる。午前中のうちに好きなラジオを聴きながら洗濯や掃除を済ませて、買い物に出かけ、コーヒーか紅茶を入れてギターの練習をし、銭湯に行って、そのあとに、
「あれ、今日誰ともまだ喋って無くない?」
と思う瞬間に初めて私は現在の退屈さに向き合える。

ギターの練習や曲作りに発展性が見出せなかったり、パソコンでどうでもいい動画を見始めてしまうとなぜかすぐに頭が痛くなってしまう。頭が痛くなるとその一日はどうしようもなくなる。多分、自分が今までしてきたこと、自分の時間をかけて挑んでいることや、これからの予定などを客観視できるまでの脳の余裕が頭痛によって失われるからだと思う。

何よりも一日の中で頭痛に苦しむ時間を無くさないといけない。

だから、ラジオを聴くこと、散歩、掃除、炊事洗濯といったオプションは頭痛の際に反射的に想起できるように癖付けおかなければならない。文章をかくことも。

今まで、さりげなくこのことについての共感を会話の中で促してきたのだが、今のところ、表立ってこの感じに共感してくれる人に出会ったことがない。

やることが決まっていて、そのゴールだけにでなく、過程に何かありそうという予感の中にいて人は始めて自由になれるのだと思う。宙ぶらりんな努力はしんどいから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?