映画みたなど
だいたい月に一度くらい、どうしようもなく寂しくなることがある。他人と自分がどうやっても繋がれないのではないかという気持ちになって、誰に連絡するのも億劫になってしまう。うまく1週間先、2週間先のことをイメージできず、昔の良い思い出からも見放されてすべてから取り残されたような気分になる。
七月の末くらいにもそういう気分に襲われて、ぼーっとしていたら唐突にプロジェクターを買おうと思いたった。そうやって気分の上下の中でしか物事を始められないから、やることがどうも積み上がっていかない。
何か新しいことをしようと動くのはすごく充実感があるから好きだ。そういう時間をかけて事を進めていくためには、銭湯に行ってぼーっとしたり、文章を書く時間が必要だ。今を生きるのというのは、予感の中を生きていくことなのだから。
プロジェクターを買ってやることは、もう朝まで映画を観る会を開くしかないと思った。
あきさんと色々話して、最終的にはカルパントラ先生のおすすめヌーヴェルヴァーグの作品10個を見るということになった。でも結局その中の二つがなかなか手に入りづらくて結局8作品14時間分をみるということになった。
いままで、自分は世界に比べて自分が矮小であるといことを不必要に恥じていたのかもしれない。不寛容で、優しくなくて、嫉妬深くて弱い自分が嫌いだった。今まで、自分以外の人間が、その存在自体がある意味では説得的なのだから世界から発せられた言葉、物事は全て「一理ある」のだと考えていた。
だが、他人の価値観もそれ自体無下にはできないと頭で考えて、そうは直感的には思いきれない自分をそこまで卑下する必要もないのではないかと最近思うようになった。自分は人並みに矮小なのだから、別に何言っているんだあんたはとキレるのも、なんかこの人苦手だと考えることも、それ自体そうでしかありえないことなのだと思う。
こんなようなことは前にも書いた。分からないことはわからないのだから、存在するかわからないような理屈を想定して話すのは間違っている。
いえい
映画を観る会はめちゃくちゃ楽しかった。端っこでやる秘密の楽しみって感じで、あきさんや仁平がまたやろうって話していたのが嬉しかった。
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