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消えた抱っこの儀式

ちょっと編集画面を開いていない間に、noteでも見出しとか使えるようになってたんですね。

4歳の息子について。

可愛かった「さ行がた行になる」たどたどしい語りから、いっちょまえな話し方になったなぁと、寝る前の謎プレゼン中に思う。

謎プレゼンは突然始まるのだけど、真剣な表情とは裏腹にさっぱり何を言っているのかわからない。彼なりに何かを伝えたい気持ちはあるようだ。コードレスタイプの掃除機は便利だとか、おもちゃの洗濯機はたまに手で回さないといけない(けど面白いから壊れていても捨てないでほしい)などなど・・・。一生懸命考えて話している表情がたまらなく愛おしい。

先日、久しぶりに過去の自分の記事を読み返してみて、2歳の可愛かった記憶が蘇ってきた。たった1年半前のことも、些細なことは忘れてしまっているものだ。やはり、自分の走馬燈用に記録を残しておくべきだなぁと再認識。

ところで、息子は毎日のように「明日保育園?」「今日は保育園?」と尋ねてくる。「今日はお休みだよ」と言うと満面の笑みで「じゃあどこ行こうか!!」とレジャーの計画を立てようとする。反対に「今日(明日)は保育園だよ」と答えると「なんでぇ?」「たくさん(指で10を作って)お休みしたい」「ほいくえん嫌い!ほいくえんはばか!(彼なりの最大限の罵倒)」と不満炸裂。そこまで嫌がるのには理由があるのかと心配していた時期もあったけど、先生の話や本人から聞く園での様子では、それなりに楽しんでいるようなのでただただ好きなとこに遊びに行きたいというだけなのかもしれない。ずっとそう思っていたけど、もしかしたらそれだけではないのかもしれない。


4月に進級して現在のクラスに通うようになり、しばらくは朝の行き渋りが激しかった。0歳から慣れ親しんだ園ではあるけど、今までの乳児クラスから幼児クラスに進むと、園児の数がグッと増えて先生の数は減る。つまり、今までのように先生にべったり甘えたりは、しにくくなるのだ。

また、今年度は乳児クラスから一緒だった大好きな先生が、乳児クラスの中でも最年少の0歳クラス担当となってしまい、息子のいる幼児クラスとはフロアが違うのでほとんど顔を合わせなくなってしまった。多分、行き渋りの原因のひとつはコレかなぁと思っている。

それでも、登園して泣いていたりぐずっていると、担任の先生が抱っこをしてくれたり、話しかけに来てくれるので引き渡すことは可能だ。ただ、先生の人数が減ってしまったので朝の忙しい時間に手が空いていないことが多いし、今年度から入園してきた子が優先となってしまうのも仕方のないこと。すると、私が抱っこして10数えるという「抱っこ抱っこギュー」の儀式を行うことになるのだ。

抱っこ抱っこギューの儀式は、乳児クラスのころからしていた。私と別れる前に、自分の気持ちを切り替える時間になっているようで、ほぼ毎日欠かさず行う。乳児クラスの時は、ギューの儀式を始めた時点で先生が代わりに抱っこをしに向かってきてくれたので、スムーズに引き渡してばいばーい!とお互い笑顔で別れることができた。(たまにどうしても嫌だと泣いている時は、後ろ髪を引かれる思いで振り返らずに走り去った)

幼児クラスでは何度も言うけど先生の数が少ないので、「おいで~」と引き取りに来てくれる可能性がかなり低い。なので、抱っこしてギューっとして10数えると、「もう一回」と言い、またギューっとして10数えるとまた「もう一回」とエンドレスになる。もちろん、泣こうが喚こうが床に下ろして去ることはできるけれど、時間に少しでも余裕があるうちは希望通りにしてあげたくて、時計を気にしながら儀式を行っていた。多少遅れても駅まで走ればいいし、在宅勤務なら家に帰ればすぐ勤務開始にできるから、とにかく機嫌よく午前を過ごしてもらいたい一心で儀式に付き合っていた。

そして、ふと気づいた。今朝、儀式を求めてきていないな、と。

それから思い返すと、先週もしていない。その前の週も多分していない。けど、半袖を着ている時期には確かに儀式をしていた。つまり、今年の初夏~夏のどこかでは儀式をしていたのだ。なぜならば、汗ばんだ息子の腕の、ひんやりした感触を覚えていたから。汗をかいて手首のアトピーがひどくなり、一時的に包帯を巻いていた時も儀式をしながら「今日はプール入れないからね」と話していた。

じゃあ、いつからしなくなった?思い出そうとしても、全く覚えていない。包帯を巻いて登園していた時期の少し後なら8月中旬以降にはしなくなっていたのかもしれない。多分深く考えずに(あ~、今日は儀式求められずスムーズで助かった~)くらいに思っていたはずだ。毎朝の儀式はなかなかの負荷だったので、「今日はラッキー」と思っていたと思う。

ほぼ毎日儀式をしていた時も、友達の登場なんかで儀式をスキップすることはあったので、その時もそれくらいの気持ちだったと思う。それがいつのまにか数日続き、1週間続き、儀式のことを忘れてばいばーい!とタッチして別れることが日常になってしまっていた。

そういえば先週、保育園の玄関先で抱っこしてほしいと言われた。このタイミングで?と思ったけど抱っこして保育室へ向かうと「降りる」と言って自ら降りたことがあった。抱っこされているのを、お友達に見られるのが恥ずかしいのだそうだ。マイペースなお調子こきボーイな息子は今、甘えたい気持ちと、それを友達に見られたくないという気持ちがせめぎ合っているのかもしれない。これは私の勝手な推測だけど、今も儀式をしたいのかもしれない。けど、羞恥心が勝り、我慢をしているのだろう。

保育園に行かなければ、好きな時に甘えられるし抱っこもしてもらえる。だから保育園には行きたくない。けど、それをはっきりと言語化できるほどの語彙力、表現力がまだなく、さらには「赤ちゃんみたいで恥ずかしい」という思いが多少なりともあるのだろう。

私としては正直しんどかった抱っこ抱っこギューの儀式だったけど、息子との大事なコミュニケーションの一つだったし、なくなったことに気づいた時にはそれなりの喪失感(笑)があったのでいつでも両手を広げて待ちたい気持ちなのですが。

儀式がなくなった理由は本人にしかわからないけど、たぶん、もう保育園で口をキュッと結んで私にしがみつき、縦揺れしながらの10カウントは過去のものになったのだろう。

あの時間は、息子だけではなく、私にとっても大事な切り替えの時間だったのだと気づかされた。入園してからずっと、付き合ってくれてありがとう。そして、いま気づいたのだけど、家で抱っこするときは私の方から「ちょっと抱っこさせて」と言って抱っこしているじゃん・・・・・・。息子の方から抱っこ~~と言ってきたこと、最近あったっけ??ちょっと恐ろしいことに気づいてしまったかもしれない。とりあえず気づかなかったふりをします。


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