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100人いたら100通りの子育て取材 みんな違ってみんなイイ!          №.2宮田真理子さん

100人いたら100通りの子育て取材、二人目に取材させて頂いたのは宮田真理子さんです。私だけが幸せでも、どこかで幸せを感じれていない人がいるかもしれない。地球上全ての人が幸福を感じることが出来たら、と誰もが願うのではないでしょうか。今回はそのようなことを考えさせられるお話しを聴くことが出来ました。

この企画については『おかあさんのがっこう 学校祭魅力プロジェクト』と題して100人のお母さんに子育てについて取材させていただく企画です。おかあさんのがっこうの活動についてはこちらをご覧ください。




真理子さんとは5年位前にある会合で出会ったのが最初でした。その時は当時3歳位の元気な娘さんを連れてこられ、人懐っこい娘さんを優しく諭し、聡明な礼儀正しい方という印象の真理子さん。今まで何度も会ったことはあるものの、じっくりとお話を聴くことは今回が初めてでした。
 今日は娘さんの習い事の送迎の合間の時間を割いて下さり、お話を伺うことができました。

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~子だるま誕生秘話~
 「れね(娘さんの名前)は2011年に生まれたんです。あの震災の年だから忘れないです。当時住んでいたのが東京だったので、放射能の影響をなるべく受けないようにと思い、急遽、故郷(山口)で里帰り出産に変更し、出産しました。産前産後しばらく故郷の山口県で過ごしたんです。」と娘さんを出産された当時のことを振り返ってくださいました。


「れねの前に流産した経験があったので、また起こらないようにと願っていました。なぜか昔からだるまが好きで、だるま祈願を思いつき、夫と一緒に、高崎のだるま工房を訪れ、夫婦でだるま作りをしました。夫は狸だるまを作り、私は正式なだるまを工房のご主人に教わりながら作ったの。

顔に鶴と亀を描き、顔の両端に末広がりの88をいれて、お腹には‘子宝’の文字。出来上がっただるまさんを抱え、親切なご主人の案内でだるま寺参りもしました。」「その後、妊娠し、れねは予定日より7日遅かったのだけど、遅れたことで夫の仕事もちょうど終わり里帰り先に来て出産に立ち会うことが出来ました。生まれた日は8月8日。」


なんと、子宝祈願したことが成就。だるまの顔の両端に刻まれた88の文字通りの日に生まれたという、れねちゃんの出生秘話を聴かせていただきました。「れねのレネーはフランス語で再生を意味するんです。だるまも七転び八起ということわざがあるように、だるまには再生の意味もありますね」と、娘さんの名前の由来も素敵でした。


「生まれたばかりの娘の顔を見て、この子は大丈夫、自分の道を自分で歩んでいけるとそんな根拠のない自信を感じました。」という真理子さん。きっと凛としたものを生まれたばかりの娘さんに感じるところがあったのでしょう。


 娘さんが生まれた後はもともと学ぶことが好きだったこともあり、通信講座を受けて子どもに質の良いおもちゃを選び与えることが出来るおもちゃインストラクターの資格を取得したといいます。


たくさん与えるというのではなく、長く使えて、部屋におもちゃが転がっていても癒されるもの、そんなおもちゃを娘さんに与えたかった。また「こどもにとって遊びは心の栄養」と学んだことで、幼少期~小学生になった今でも「遊びは足りているかな?」と常に気にかけていると、お話してくださいました。


~人生に影響を与えたストリートチルドレンのボランティア活動~
 真理子さんの醸し出す人への優しさや温かみ、それでいてどんな人にもフランクな感じで接するという印象が私の中であったので、それを質問してみました。


「大学生時代にメキシコに一年位留学し、そこでストリートチルドレンの自立支援するNGOのボランティアをしました。20年近く何の不自由もなく生きてくることが出来た自分の境遇とは大きくかけ離れた世界を目にし、そこでの体験がこの後の人生に大きな影響を与えました。」と話されました。


ストリートチルドレンに、路上以外にも生きる選択肢があることを教え、別の人生を選ぶことを促すNGOのスタッフをストリートエデュケイターと呼ぶそうです。その方々の働きぶり、子ども達への接し方、子ども達が自分の力で人生を生きていけるよう寄り添う、大きな姿に触れ、多大な影響を与えられたそうです。

帰国後、もし、将来子育てをするなら、子どもを幸せにしたいと日本のNGO(ストリートチルドレンを考える会)の代表の方に話したという真理子さん。今でも子どもの人権についての学びは続けられています。


「それでも、実際の子育ては子供の権利とはかけ離れてて~」と笑う真理子さん。
自分を抑えきれなくなった時もありますよと苦笑いされました。


「私、しっかりしているように見られるけど、うっかりしたり、方向音痴だったりひどいんです。けれど今まで何とかやってこられたのはいつも人に恵まれていたからです。」


娘さんが1歳の時、親戚も友人もいない十勝に移住され、初めての子育てをされる中、孤独な時期もあったそうです。その時、同郷の同級生がたまたま同じ十勝で子育てをしていることが分かったそうで、本当に助けになったそうです。


「亡くなった姉も折に触れては私の助けになってくれていました。」と。真理子さんには3歳差のお姉さんがおり、44歳の若さで亡くなられましたが、真理子さんにとって子ども時代から母親になるまで、良きアドバイザーだったそうです。


「どんなところにいても、人との繋がりがあれば生きていけると思うんですよねー」と話される真理子さん。
大切にされているものは目には見えないけれども、かけがえのないもの。
真理子さんから教えられた気がします。


いつか娘さんを連れて大学生の時に行ったメキシコのストリートに行ってみたいそうです。
大学生の時に見て感じたものに娘さんと触れた時、どんな想いを抱くのでしょうか。
ストリートチルドレンの現状などを報告するような会を出来たらとお話されました。


子どもへの眼差しはいつも温かさに満ちている、どの子も愛に満たされ平穏な生活をとの願いをもたれていると、真理子さんのお話を聴いて感じました。

真理子さん、貴重な心温まるお話をありがとうございました!!

宮田真理子さん プロフィール
山口県出身 高校生の時に姉妹都市への短期派遣プログラムでオーストラリアへ初留学。大学生の時にメキシコに留学。社会人になってからも仕事の合間をぬってストリートチルドレンを知ってもらうためのボランティア活動、日本のホームレス支援のボランティア活動をしていた。2011年長女を出産、翌年ご主人の仕事のため、帯広に移住。
小学校3年生の女の子とメキシコ人のご主人の3人家族

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