【シン・ウルトラマン酷評】『シン・ゴジラ』みたいなやつが観たいなら『シン・ゴジラ』を観てろ。私はそうする。

やっと観れましたよ『シン・ウルトラマン』。
なんかね、期待してたほどは面白くなかったし、心配してたほどクソつまんなくもなかったです。
「樋口真嗣界隈が絡んだリメイク物の実写邦画ってこのくらいの感じだよね」以上でも以下でもない。
いや、ぜんぜん楽しく見れたところもあるんですよ。ただ、『シン・ゴジラ』みたいになってたら良いな~と思って観に行ったら、なってなかったというだけで。

最初に言っておくと、私はウルトラマンにもゴジラにもエヴァにもオリジンに特に思い入れがない、「通ってきてない側」の人間です。
その上で、『シン・ゴジラ』はほぼ文句なく楽しく観ることができ、エヴァ新劇四部作だけ観ての『シン・エヴァンゲリオン』は「まぁ、この父子の話の落としどころとしてはこうするしかないわな。専門用語がごちゃごちゃうるさかったけど、綾波の田舎に泊まろうパートとか面白かったし良いんじゃない?」と意識の低い肯定派。
で、『シン・ウルトラマン』はちょっと乗り切れなかったなぁという立場です。

ウルトラマンの感情が最後まで掴めなかったなぁ……。

シンゴジとシンウルの違いは「シン・ウルトラマンには『立ち返るべき2時間ポッキリの元祖ウルトラマン映画』がない」ことにあった気がします。

シンゴジが、これまでのゴジラの映画を何一つ観てない客でも「ヤバいデカい奴が首都圏に来ちゃったからみんなで何とかする」2時間1本の独立したディザスタームービー・戦争シミュレーション映画としてまとまりよく観てられたのは、「オリジンである1954年の『ゴジラ』がそういう映画だから」というのが大きいと思います。

ゴジラが好きな人に文句を言われないように「ちゃんと研究してリスペクトして、原点の『ゴジラ』に立ち返りました!」と見える作品をつくると、それがそのまま「一見さんにも見やすい映画」になったという訳です。そりゃそうですよね。1954年のゴジラには一見さんしかいなかったんですから。

翻って、シンウルにはそういう映画がない訳ですよ。初代ウルトラマンは30分39話の連続ドラマですから。
私が一番、乗れなかったのは「ウルトラマンがそこまで人類に肩入れするのに共感できなかった」ってところなんですよね。これって物語全体の推進軸なんで、ここに乗れないと終わりなんですよこの映画。

最初に神永君がガキ庇って死んだのを見た時は、まだ「へえ、この星の知的生命体はそういう行動を取る場合もあるんだ~おもしろ」くらいだった、って最後の方で本人も言ってましたけど、ウルトラマンが「わー地球人って良いなぁ……この人たちのこと大事にしたいなぁ……」って思うようなイベントが前半にぜんぜんないのが問題だと思うんですよ。
同じ部屋にいるだけで(神永君めっちゃ外出するから部屋にすらいないんだけど)、特段、互いの絆が深まるイベントもないまま拉致→ニセウルトラマン大暴れ→急に棒切れ託される長澤まさみ……ってなっちゃうから、このあたり全部が「なんかとってつけたような話だな」としか思えないんですよ。

そもそもシンゴジは「自分周りの命と生活を守る」という動機と推進力が自明だから何の説明もいらないんだけど(あまりにも分かりやすく「東日本震災の映画」だったことも感情移入しやすかったし)、ウルトラマンは「何の縁もゆかりもない星を守る」っていう"余計な事"をさせるわけだから絶対丁寧な動機付けが必要なんですよね。

ゾフィーさんは「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン?」って言ってましたけど、私としては「いつの間にそんなに人間を好きになったんだよ、ウルトラマン?」って感じですわ。

尺が足りない、っていうか書き込みが十分じゃない。本来なら連ドラで何話もかけて信頼関係をつくった上でやるべき話を2時間の枠の中に押し込めるから、薄っぺらいダイジェスト版観てるみたいな気持ちになるんですよね。
「原典となる2時間映画がないから、原点に立ち返ろうとすると連ドラの総集編になってしまう」という弱点を感じた訳です。
シンエヴァも10年年かけて4作でやってあれだったんだしね。

ただ今回の座組で、そういう心情の細かい部分が演出できたのかって疑問はありますけどねそもそも。
科特隊周りのシーンの妙にちぐはぐな感じ(目の前の人についての噂話をしている声量じゃなかったりとか、前線にヘルメットもせずに臨場する呑気さとか……)を見るに、『進撃の巨人』、どころか草彅君版『日本沈没』の頃から分かり切ってる「樋口真嗣には『非日常の中の日常』を撮る才能がない」ってとこに行き着く気がして。

そもそも科特隊(今回の漢字が一生覚えられない)が影の薄い無能集団でしかないのが残念でならない。シンゴジと違って、ウルトラマンとか宇宙人って存在がまずかなりフィクションライン高いお話なんだから、中途半端に巨災対みたいな設定つけなくても良かった気がするんですよね。「各省から出向した専門家による怪獣対策組織」って設定にしては、人数規模が小さく過ぎるし有効な作戦を立案してる描写もないしで、何のためにこの人たち出てきたの?って感じ。下手すりゃ科特隊とか言わずに、神永君が属してた普通の刑事とかサラリーマンの班って設定にした方が「何もできない一般人たちが急に特撮映画の世界観に巻き込まれる」ギャップの面白さがあったんじゃないの?って思うくらい。
分かんないけど、庵野君や樋口君たちは別に科特隊の設定を変にいじるつもりはなかったのに、プロデューサーとかから「シンゴジみたいにしてよ」って無茶ぶりされたんじゃないの??で、それを上手く消化できなかった。
市川実日子になれなかった人と高橋一生になれなかった人が見せ場なさ過ぎて気の毒。ところでニセ高橋一生の人ってぺこぱのシュウペイさんじゃなかったんですね。

人類サイドがぜんぜん頑張ってる感じしないんですよね。例えばですけど科特隊が企画した作戦がある程度奏功してウルトラマンを有利にするみたいな、ガメラのレギオンvs自衛隊的な見せ場が欲しかった。だって最後の最後まで、「ウルトラマンがゼットンを倒すヒントをくれたからみんなで考えよう!で、出た答えをもとにしてウルトラマンが特攻してくれるぞ!」なんだもん。ぜーんぶウルトラマンのお手盛り。なんかいわゆる「なろう小説」みたいなんですよね。周りのキャラが全員背景にしかなってない、ウルトラマンの俺TSUEEEEE話でしかない。えっ、庵野くん昔自らウルトラマン役やって自主映画撮ってたの?じゃあそういうことじゃん気持ち悪い。

いやいや、面白かったところもあるんですよ。
とりあえず堀北真希の旦那が出てきてからはずっと楽しかったです。
あの胡散臭くて慇懃無礼で人を食った、まさにメフィストフェレス的怪演。
三谷ファミリーなんだし、古畑任三郎出てほしかったなぁ……。
(あんな「知能犯ですよ」みたいな雰囲気出しておいて、最後は結局自分ででっかくなってステゴロで戦うんかい!というウルトラマンの根源的疑問は出てきちゃう訳ですけども)

あと、長澤まさみさん周りね。
長澤まさみお手玉・催眠タイトミニスカート巨女長澤まさみ・長澤まさみ体臭ワープね。
……ただ、このご時世に何の反省もなく、90年代のOVAみたいなセクハラギャグをこんなビッグバジェットで真正面からやることを誰一人留めなかったんだとしたらカラーも東宝もおしまいだと思いますぜ。
(あと「匂いは数値化されない」ってロジックなに?臭気は数値化できるだろ別に。おちんちんで脚本書いてるからこういう矛盾が出てくるんだよ庵野くんさぁ)

あと、ゼットン周りがさぁ……。1兆度の火の玉が云々ってのはあれでしょ?空想科学読本でしょ?
中学の頃夢中になって読んだなぁ……ウルトラマンで言うとジャミラ倒す水流みたいなやつとかも扱ってたよね。そう言えばゼットンって名前はこれで覚えたんだった。
こういう、「昔のいい加減な設定とか後付けの矛盾とかに合理的な説明をつけて上手くまとめる」みたいなの好きだよねぇ、いにしえのオタクくんって。安いノベライズみたい。
でもさぁ。ウルトラマンに対してゼットンが強すぎるから「地球人を使った兵器であるウルトラマンがここまで歯が立たないなら、ゼットンさえいれば別に地球滅ぼさなくても大丈夫なんじゃないの?」ってことになってクライマックスの根幹が揺らぐんだよね。
核兵器持ってるんだから田舎にあるトカレフの工場一個そんなに血眼になって空爆しなくてもよくない?みたいな?

シンゴジにもあった庵野脚本の嫌なところは強化されてたしね。なんであんな特攻隊を礼賛しちゃうんだろうね庵野君は。やっぱ山口県出身のネトウヨは信用ならないね。
シンゴジのクライマックスの矢口ランドゥーのクソみたいな演説は、シンゴジくらい面白くてギリ見て見ぬフリできるんだけど、シンウルは別に面白くないから我慢できないんだよね。あと単純に、「こんなラストもラストでぺらぺらぺらぺら台詞で感情を説明するなよ、中学校演劇じゃあるめえし」って興ざめだったというのもある。

あと、これはたぶん元からそういう設定なんだとは思うんだけど、ネロンガだっけ電気食べて透明になるやつ。あいつの「おなかいっぱいになったら透明になるのをやめる」って習性なんなの?おなかいっぱいになっても透明のままでいた方が絶対安全だって。変だよ生きものとして。
あれでしょ?ウルトラマン放映当時は「フルCGで自由自在に透明になる奴とのプロレス」みたいな描写がむずかったからってことでしょ?じゃあせっかく3DCGで描画してるんだから今作では透明なネロンガと戦わせても良かったんじゃないの??
なーんか中途半端なんだよね。「ここ俺なりのオリジナル!気が利いてるでしょ!」ってするところと、「ここは原作通りにつくってるんだから俺に文句言わないでよ!」ってところが恣意的に混在してて何がしたいの?って感じ。
怪獣のバトルが結局山の中ののっぱらみたいなところばっかりなのも、原作のそういうとこ(だって、当時はビルとかのミニチュアを立てる金がなかったからってだけでしょ?)を踏襲する意味がわかんないんだよな。

まぁ、いろいろ文句言ってきたけど笑えるシーンもあったし、トータルで言えば実写邦画(ウルトラマンは元々実写だけどさ)カテゴリで言えば『鋼の錬金術師』『テラフォーマーズ』くらいは面白かったよ!

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