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ホンモノ?ニセモノ?

あちこちでホンモノ・ニセモノ論争がとまらない。
本日はそもそもホンモノってなんだ?と思いました。

何をもってホンモノと呼んでますか?
ホンモノの定義が人それぞれ違っていたら、
何について話し合っているのか?
ホンモノ・ニセモノ論争自体が空中分解。
何も生まれない。

しかし、いざ定義をしようとすると難しい。
『科学的に証明できること』
が殆どの場合、一番しっくりくるでしょう
科学教といわれたりもしますが、
誰にでも手順を踏めば説明・再現できるもの
これは確かにとても分かりやすいです(論文で証明)

では科学では証明できないこと
歴史物語などの世界は何をもってホンモノと呼びますか?
(科学で補強できる場合はあるにしても)

▶これまでの文献が矛盾なく説明できること
▶ストーリーが上手く繋がること
▶誰も思いつかない視点を創造すること
▶人並み外れた知識量・暗記力があること

などでしょうか?
これらを全て揃えていたら確かにホンモノと圧倒されます
科学的に証明ができてなくても魅了されるでしょう

アカデミズムの世界ではこれまでの学派を
きちんと踏襲できているかどうか?
これもある意味ホンモノの判断基準にされるでしょう
カタチだけの保守は本質ではないにしても、
突拍子もない考えはホンモノでもニセモノと呼ばれがちです

ではいわゆるスピリチュアルの世界ではどうでしょう?
・知らないはずの過去を当てることができること
・予言が正確に当たること
・医学では根治不能な病気が治せること
・地球外とのコンタクトがとれる
・時空を越えたコンタクトがとれる
などなど、結局のところ全部まとめると、

▶眼の前で実際に奇跡を起こせること

になりますかね。
奇跡と感じられるかどうかは人にも寄りますし
科学的な証明からは程遠いですから
創作にしては、あまりにもストーリーが面白い
なども判断基準になるのでしょうか?
創作にしては流石によく出来すぎているという・・・
しかし、これは小説家・漫画家なども突出した創作力
を持っているわけですから区別は難しいです。
すでに「信じたい」という深層心理が先走っているかもしれません。
ホンモノかどうかではなく、ホンモノであるはずの言い訳を探す。

また、ホンモノ・ニセモノ論争で
発信者がどういう態度なのか、何を目指しているのか?
これがホンモノかどうか以上に大事なことかとも思います。

自分の正しさをひたすら主張しているパターン
正しさを証明したとしてその先に何を考えているのか?
証明すること自体が目的になっていないだろうか?
派閥の維持、マウントとり、過去のルサンチマンなど

一方、正しいかどうかは特に問題ではなく、
それで何かの役に立てたい、成果を出したい
という具体的な目標があるパターン
そういう場合は証明は実はどうでもよかったりします。

お金儲けの場合も悪い意味で成果パターンで、
内容が廃れたら捨てたり変えたり都合よくやるだけ。
本当に発信者自体が盲信しまっている場合もありますが
その方が却って信じる人は信じてしまうかもしれません。
この人が嘘をついているようには見えません、と。

また、人を恐怖に陥れたり、金額要求がエスカレートしたり、
その説明が不十分だったり、対応におかしさを感じる場合も
内容云々の前に人としてのどうなの?という違和感。
それが大事になってくるでしょう。

ただその場合も
行動経済学的にハマりがちなのはサンクコスト効果です。
ソーシャルゲームでもよくありますね。
どんどんガチャを回してしまうパターンです。
ここまでやってきたんだから、もったいないと。

あらためて、ホンモノとは・・・
何を見た時にそう感じますか?
各人のホンモノがあるだけ・・・
どこまでいっても
ただそれだけなのかもしれません。

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