満員電車
ホームすらドチャクソに混んでいて最悪の朝だ。
黄色い線の内側に下がるよう、注意喚起のアナウンスが響く。
すでに大量の乗客を乗せ、ゆっくりと停車位置を調整する電車は次の電柱まで全員のランドセルを持たされたあの日の登校日を思い起こさせる。
小学生の頃から変わらない。
俺は何をするにも時間が掛かる人間だ。
目的地まで軽快な足取りで、誰も彼もを追い抜いてたどり着いたことなんてただ一度もない。
中学高校なんてたどり着くのがやっとで、
大学に至ってはたどり着けないことがザラだった。
社会人になってからはまだなんとか通勤を続けているが、目的地まで「行く」というよりは連れて「行かされる」感じだ。
意思がまるでない。
そんな風に過去を悔いた生きる人形が後ろに並ぶ人間に押し込まれて電車に乗り込まされる。
満員電車の中で押しつぶされながら目を瞑る。
人と人に挟まれて肺が圧迫される感覚は存外好きだ。
誰も俺に対して遠慮がないから押しつぶされている訳だ。
それでも、俺がいるから呼吸できるくらいのスペースはできる。
このスペースは俺自身だ。乗客は遠慮はないが無視もない。満員電車で自分の存在を認識する。
ふと目を開けると座席に身なりの良い俺と同じくらいの年の男が見える。
綺麗なスーツに清潔感のある頭髪。カバンは有名なブランドだろうか、シックだがいいデザインだ。
彼は本を読みながら、時折駅名が表示される電光掲示板を見る。
彼はどんな職種についているのだろうか。どんな役職についているのだろうか。出身はどこで、育ちはいいのだろうか。
きっと素晴らしい職種で、報酬もうんともらえる役職で、都内出身で、両親も素晴らしい人なんだろうな。
本を読む彼の分析をしていると大きな駅に停車した。
目的地の最寄り駅ではない大きな駅。
それはもう沢山の乗客が降りる。
乗客の波に押し流され、抵抗も出来ずに降車を余儀なくされる。
普段ならドア付近に待機して、もう一度乗り込むのだが今日はそれが出来なかった。
出来なかったというよりもしたくなくなった。
押し出されるように降車させられ、ドア付近に立たされる俺の前を本を読んでいた男が悠々と降りていったからだ。
彼は降りたと言うより、目的地まで進んでいったと言うほうが正しいのだろうと思ってしまった。
姿勢良く、堂々と。
華があった。かっこいいと思った。
だから、もう満員電車に乗りたくなくなった。
俺はもうここで降りる。
もう一度乗り込むに値する生き方じゃない。
彼の生き方を想像して自分と比べる。
彼が座席に座れているのはきっと遠く始発の駅から来ているから。
都内の生まれじゃないだろう。
遠くから東京の中心にたどり着いているのだ。
周りが携帯をいじる中で本を読んでいたのももはや言うまでもない理由があるだろう。
そんなことわかっていても、車内の俺は恵まれた環境に生まれたのだろうと勘繰って勝手なことを考えていた。俺はそんなことに時間を使っている。
本を読んでいた彼が人混みに紛れていく。
俺は自販機にもたれて地面に座り込んだ。
また次の電車が来ても座ったまま。
次も次も次も。
座り込んで見つめていた。
座り込んで見つめている先にはさっきとは別の、本を読んでいた彼が現れる。
どの電車からも彼が降りてくる。
そうやって東京の中心に彼の集団が出来上がる。
本を読んでいた彼の集団は次の満員電車に向かっていった。
俺はゆっくり立ち上がり、
下りの鈍行列車に乗った。
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