『本気のしるし 劇場版』について

 2019年10月、テレビドラマ『本気のしるし』の放送がスタートした。原作は星里もちるの同名漫画で、深田晃司監督の手によって映像化された。名古屋テレビ放送(メ〜テレ)制作のドラマであり、自分が住んでいる地域の局では放送されていなかったため、テレビ番組無料配信サービス『TVer』で毎週試聴していた。
 ドラマ版の放送終了からしばらく経ち、2020年10月に約4時間の劇場版が映画館にて公開された。今回の劇場版はテレビドラマ版のその後の続きを描くものではなく、全10話のテレビドラマ版を約4時間の映画として再編集したものであり、映画が公開されると映画館へ赴いた。ドラマ版を楽しんでいた時点では想像もしなかった、自分も含めた観客全員がマスクを着用し、1席ぶんの間隔を空けて着座する映画館の中で『本気のしるし』の世界に再び身を委ねた。

 オスのカブトムシのオモチャがギシギシと動く。『本気のしるし 劇場版』の幕開けは、こんなカットから始まる。主人公の辻一路(森崎ウィン)が、営業先の店舗のオモチャを確認している…という場面なのだが、そのカブトムシのオモチャの挙動がまるで、愛に溺れてジタバタもがく辻のその先の運命を既に冒頭から示唆しているように見えた。
 辻は、商社で仕事も器用にこなし、社内の二人の女性社員と交際している。しかし、辻は本気の恋をしたことがなく、どこか空虚だ。そんな辻はある夜、葉山浮世(土村芳)という謎めいた女性と出会ったことを機に、様々な出来事(トラブル)に巻き込まれていく。

 浮世という女性は、その場しのぎの嘘も平気でつくが、どこか放っておけない魅力があり、隙もある。突拍子もない言動を繰り返す自由奔放な浮世に、辻は迷惑をかけられつつ、なんだかんだ言いながらも興味を抱いてしまう。映画を見ている私も辻と同様に、やきもきしながらも不思議な魅力に抗えず、「浮世って何者なんだ?」と思考を奪われていた。仮にバラエティ番組『あざとくて何が悪いの?』のVTRに浮世が登場していたら、スタジオの山里亮太は「あざとい」ボタンを連打していたことだろう。

 辻が交際しているみっちゃん(福永朱梨)や細川(石橋けい)は、辻は心のアクリル板を一枚挟んで、本音を見せないようにしている。しかし、浮世と辻に触発されるかのように、みっちゃんや細川の心の奥底に眠っていた何かが爆発する。アクリル板が吹っ飛ぶほどに。辻と浮世の関係性ももちろん面白いが、そんな二人を取り巻く周囲の人間模様のグラデーションが独特で、その色合いの変化に思わず見入ってしまう。
 
 深田晃司監督作品の魅力は、人間の不確かさが映し出されるところにある。人の性格や"キャラ"なんてものは、絶対的ではなく、むしろ相対的なものであり、他者との関係性やタイミングや環境によって、表情や態度、パワーバランスは簡単に変わる。人間は様々な側面を持ち合わせており、深田監督の映画には、水面のようにゆらゆら揺れる人間の心の機微が見える瞬間もあれば、「結局のところ、人間って何を考えているのか分からない…」という気持ちにもさせられる。暗さが際立つ映像表現は、まるで人間という生き物の掴みどころのなさを暗示しているようで、今回の『本気のしるし』でも例外ではない。映像を通して人間の生きづらさや心の複雑さが伝わってくるし、登場人物達の変化から目が離せないのだ。
 

【※以下、『本気のしるし 劇場版』の結末について言及しています】


 本作は、主人公・辻にとっては地獄のような転落劇だが、浮世の視点から見ると、抑圧的な男性に縛られていた彼女が成長して、主体性を確立していく物語として受け取れる。「すいません」と言うのが口癖で、困った顔が印象的だった浮世が、行方不明になった辻の行方を探すようになってからは、別人のように生き生きとしている。
 本作のラストシーンで、警報が鳴り止んだ踏切のそばで、辻と浮世が向かい合う。浮世と数年ぶりに再会した辻は浮世のことを完全に信頼しきれない、と口をこぼす。浮世は辻に「それでもいい。愛してる」と言うが、辻は何も答えられず、二人が抱き合ったまま、映画が終わる。

 映画が終わった後も、劇中の二人のその先の人生は続いていく。その後の二人が果たして幸せになるのかは分からないが、ここで大事なのは、辻が「信頼しきれない」という自分の気持ちを浮世に伝えていることだ。かつて八方美人だった辻が自分の胸にあるネガティブな思いをそのまま浮世に開示し、ありのままの弱い自分をさらけ出している。揺れ動く不安を抱えたまま、それでも生きていく。そんな辻の姿はとても人間らしいし、辻と浮世の真の相互理解がここから始まるように思
えた。いや、そう思いたいだけかもしれない。

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