見出し画像

『花束みたいな恋をした』について

 坂元裕二が書く物語には、実在のカルチャーや固有名詞がよく出てくる。例えば、2013年にフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ『最高の離婚』では、結夏(尾野真千子)が男性から映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(監督:アン・リー)の鑑賞に誘われる。ドラマの放送時期と同じタイミングで日本公開された映画の題名やポスターが登場することで、テレビを見ている自分の現実とドラマの中の世界がリンクしたような不思議な気分になった。

 映画『花束みたいな恋をした』も例外ではない。例外ではないどころか、引用される固有名詞や実在するカルチャーの数は、近年の坂元裕二脚本作品と比べても尋常ではなく、怒涛のペースで繰り出される。押井守、今村夏子、天竺鼠、ミイラ展、ゴールデンカムイ、宝石の国…。
 こうしたカルチャーの引用は何も作り手の無邪気な遊び心で羅列されているわけではなく、主人公達の人間らしさや恋愛の多幸感を描くうえで重要な意味を持っている。本作の主人公である八谷絹(有村架純)と山音麦(菅田将暉)の二人は、互いの好みに共通項を見出して心を通わせる。七並べのように好みが合致すればするほど、彼らはお互いに「そうそう!」と興奮を隠しきれなくなる。恋愛のはじまりとして共通点の確認作業は楽しいし、トークも当然ポンポン弾み、その蓄積がときめきに繋がっていく。

 この『花束みたいな恋をした』は2015年から2020年までの5年に及ぶ物語で、その間のトピックやカルチャーも本作には登場する。2015年の絹のようにクマムシの「あったかいんだからぁ」を口ずさんでいた日は自分にもあったし、絹と麦も「SMAPって結局、解散するの?しないの?」とやきもきしていた2016年を過ごしていたことだろう。2017年の夏、絹が観劇後のアンケートをしっかり記入した『わたしの星』(ままごと)は、自分が地方から東京・三鷹への遠征を計画するも、予定の調整がつかずに泣く泣く観劇を諦めた舞台でもあった。彼らが生きてきた2015年から2020年は、自分が過ごしてきた時代でもあって、そこには確かに文化が溢れていて。自分自身が二人と同世代ということもあり、彼らと同じ時代を過ごしてきたという強烈なリアリティを感じた。

【※以下、『花束みたいな恋をした』の後半の内容について言及しています】

 二人の楽しい日々はそう長くは続かない。就職して仕事に忙殺される麦は、絵を描くことも疎かになり、絹から薦められて渡された『茄子の輝き』(著:滝口悠生)を読むこともなく、乱雑に扱ってしまう。仕事に疲弊し、真っ暗な職場の床で寝転がり、ぼんやりとスマホでパズドラをプレイする麦の変化は生々しい。多くのカルチャーを媒介として恋愛関係を始めた二人は、なかなか共通の時間を持つことができず、徐々に恋愛関係が終わりに近づいていく。共通項の断絶や価値観の変化が進むことで、お互い共有できないことが増えていく有様に「普通」に暮らし続けること、恋愛関係を維持することの難しさが伝わってくる。

 ついにファミレスで別れ話をすることになった麦と絹。二人の席から少し離れた別のテーブルでは、羊文学のライブ帰りの羽田凜(清原果耶)と水埜亘(細田佳央太)がお互いのレコメンドを語らい、まさに距離を縮めようとしている。一つの恋が終わりかけているテーブルの向こう側では、別の新しい恋が灯ろうとしている。何気ないファミレスという空間でも、卓の数だけ物語がある。どこの誰かも知らない若者達の初々しい様子を見て、絹と麦は時間も忘れて無邪気に話し合っていたかつての自分達の姿を重ねて感極まってしまう。本作でも白眉の場面だ。

 2020年、カフェでうっかり再会した麦と絹は、店を出た後、二人とも振り返らずに背中越しにバイバイと手を振る。そんな姿に「やっぱり君ら、相性ピッタリなのでは…?」とむず痒くなってしまった。そして、二人にとって幸せだったといえる瞬間がGoogleストリートビューに捕捉されていたことが判明するラストは、ユーモアと切なさの配分が50:50で絶妙だし、二人が別れた後の描写が過剰に湿っぽくならないバランスがとても良かった。別れてしまっても二人が過ごした5年間は決して無駄ではなかったはずだし、日常を一輪ずつ束ねた結果、気づいたら自分達の手元に彩りが握られていたような日々だったのではないだろうか。

 さいごに。坂元裕二の脚本作品ではカラオケボックスが頻出するが、本作で個人的に気に入っているのは、フレンズの『NIGHT TOWN』をまもなく別れようとしている二人がノリノリで歌う場面。麦が「どのみち未来変えたくって 握れない手と手もどかしくて 諦めず距離を縮めようと 頑張って見てもとどかないよ」なんて歌う姿が、その先に待ち受けている終わりの痛みを必死で避けようとしているように見えて、もどかしくて。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?