おつやの方は何故殺されなければならなかったのか?
おつやの方は我等が弾正忠・信長公の叔母である。
一説によると、叔母とは言え信長公よりも年下で、かなりの美女であったらしい。
おつやの方は斎藤家との政略結婚で、斎藤家重臣・日比野清実に嫁ぐ。
1561年、桶狭間の合戦の翌年、美濃の斉藤義龍が病死すると、そのわずか2日後、電光石火の素早さで我等が信長公は美濃へ進出する。(森部の戦い)
この戦では、織田家出禁になっていた前田利家が勝手に参戦し八面六臂の大活躍の挙句、日比野清実の家臣の猛将・首取り足立と恐れられた足立六兵衛を討ち取り