日野という町

わたくしが幼女お嬢様だったころ、中央線というのはどこか遠くの国の話でしたわ。それはわたくしが物心つく頃から都内の鶴見川流いk・・・じゃないですわね、港区の一等地に家を構えていたからですわ。生活圏が違いすぎますのよ。日野という町も、教科書でその存在は存じ上げておりましたけれど、何があるのか、どこにあるのかすらわかりませんでしたの。

わたくし、多摩地域には明るくありませんでしたわ。中学3年生のころに初めて京王線に乗りましたのよ?それは確か・・・府中の森芸術劇場にNコンの都予選を歌いに行くためでしたわ。本当に同期の誰よりも早起きしましたわ!あの時は!で、その行き帰りであまりにも疲労困憊いたしましたので、それっきり多摩の田舎には足を踏み入れないようにしていましたわね。

大学に来ても、よく行く多摩の街というのは限られていて、それは府中や国分寺に武蔵小金井など。大学から自転・・・じゃなくて馬車で簡単に行ける程度のところでしたわ。港区育ちのわたくしに、立川より西なんで、相変わらず興味がありませんでしたのよ。

転機は突然訪れましたわ。わたくし、お嬢様のたしなみとして聖歌隊に所属しているのですけれど、去年の聖歌隊の新歓期にそのお嬢様はやって来ましてよ。

わたくしの隠れた特技はジモトークでして、いろいろなお嬢様の地元ネタに適当に話を合わせることができましてよ。入間市のお嬢様には「里山がみな江戸時代さながらに手入れされていると聞きますわ!あと狭山市よりお茶の生産量が多いことで有名ですわね!」大和市のお嬢様には「街中にお花畑がたくさんありますわね。なんて素敵ですこと!。あとイオンモールも大きゅうございますわよねー!」稲城市のお嬢様には「上谷戸公園のスケールの広さには驚きましたわ!ゆるキャラの稲城なしのすけも愛嬌がありますこと!」・・・でも、その時に雑談しようとした新入生お嬢様は―――日野市民でしたの。(お待ちあそばせ、わたくし!ようく考えるのですわ。日野について知っていること、日野について知っていること・・・・・・ヤバい・・・マジで何もありませんわ・・・)そしてわたくしは全てをあきらめ、彼女のほうから話してもらおうと仕組みましたわ。しかし、20年弱日野に住んでいるというのに彼女はあまり地元に興味が無いようでして、特にお話が盛り上がりませんでしたの。悔しい思いで胸がいっぱいになりましたわ。この!ヤケに平民の地元に詳しいお嬢様である、このわたくしが!たかが都内の話で沈黙するなんて!―――やがて決心したのですわ。日野という町を完全に理解しようと・・・

けれども、実際に日野を訪れる機会は中々ありませんでしたわ。何も無いですもの。用が。で、用が無ければつくってしまいましょうということで、ある時、1度だけ実際に日野市内を歩いてみましたわ。目的は、そうですわね、本当にただ歩くためだけでしたわよ。ルートは・・・うーん割と昔のことでしてよく覚えていませんのだけれど、日野駅から浅川めがけて南下してゆき、豊田駅に向かって西に進んだ感じですわね。

結論から言って、わたくしが歩いたところはごく普通の何もない町でしたわ。

日野駅の改札前には木の板の駅看板が掛かっていて、「え、なんでこんな駅にこの看板が掛かっておりますの?ふつうこういう看板は青梅とか高尾とか、なんかこうデカい歴史のある田舎の駅に掛かるものではありませんの?日野ってそんな観光名所・・・あったかしら?」と思いましたわ、その時は。(後から調べて分かったことですけれど・・・そもそも日野は宿場町ですわね。甲州街道の休憩スポットですわ。あと新選組の侍のみなさまがしょっちゅう出入りしていたこともあって、市は土方歳三の顔写真をゴリ押ししていますわよ。)それと、わたくしが少し驚いたのは道のあちこちに立っている道案内の標識ですわ!やたらと日野宿本陣の方向を教えてくれますの。新選組のオタクお嬢様は結構多いんですわね・・・

駅から少々歩いてみると、市内の水路マップ的なやつに出くわしましたわ。何ゆえここまで水を引いたのかと疑問に思いましたけれど、調べてみたら昔はあのあたり水田がわんさかありましたのね。まあ多摩川と浅川に挟まれていればお米の生産量も増えて当然ですわ。さらに歩くと実際の水路に出くわしましたわ。思ったより細く、まっすぐ通っていましたわね。

しばらく進んだところにある大きめの公園で、わたくしは竪穴式住居のレプリカを目の当たりにしましたわ。あまりに唐突に出会えたので、わたくしはそれを撮影して「日野市役所」とツイートしましたわ!それなりのインプレッションはもらえましてよ。で、そのすぐ隣に市役所がありましたわよ。けっこうしっかりした、昭和らしく温かみのある造りでしてよ。わたくしはこの付近にあるパン屋でおやきを買いましたわ。どうみてもキ〇ィさんのような顔の「ねこちゃんパン」があって身が震えましたわ。

で、その道をほんのちょっと行くと、「モモンガカフェ」なるものを見かけましたわ。https://momongacafe.wixsite.com/momongacafe ここですわね。ええ、モモンガがいるのかしら!?と思ってその場でググってみたら・・・いなかったのでブチ切れましたのーーーーーっ!!!!!!!詐欺ですわ!!!!詐欺ッ!!!!!でも、その代わりバチコリ美味しいコーヒーが飲めると伺いましたので、日を改めて馳せ参じる予定ですわ。

たしかモモンガカフェのあたりにたいそう眺めのよい坂がありましたわ。坂の上に橋が架かっていまして、そこから南方を望むことができましてよ。坂の向こうはずっと住宅街が広がっていて、さらにその向こうに山が望めましたわね。あれはきっと南平方面の丘陵地でしたのね。一面を見渡し終わってから、わたくしは坂をずんずん降りましたわ、降りて降りて、道なりに進みまくっていると、突如として目の前にクソでかい大仏が現れたのですわ!これはなんですの!

http://shinsenhino.com/archives/spot/temple/050322015504.php

これでしたわ。

善正寺の角を左に進むとさらに下り坂があって、ずっと行くと浅川がありましたわ!流れは非常にゆったりとしていて、川幅はまあまあ広く、なんだか洪水が心配な程度の河川敷で覆われていましたわ。川向こうは南平ですわね。ずいぶん大きな丘や森がそびえていて、ゆるやかな坂しかないこちら岸と対照的でしたの。浅川が北から南へと河道を動かしてきた証ですわね。近くの交差点の一角にススキ野原があって、思わず寝っ転がってしまいましたわ!至極ふかふかでしてよ。お嬢様としたことが、はしたない振る舞いをしてしまいましてよ・・・

そこから豊田駅に向かったのですけれど、なぜか何も道中を思い出すことができないのですわ。きっとたけのこ派と選択公理を認めない平民の仕業ですわね。

あのお散歩を通じて分かったのは、日野市中央部には水路と緑あふれる公園と穏やかな住環境と見晴らしの良い陸橋とお洒落なカフェと大仏以外に何もないということですの。港区育ちのわたくしにとっては、かなりのどかで居心地の良い場所でしたわね。あまり面白いネタが探せなかったので、これからも根気強く散歩を続けていかねばならないのですわ!そしてあの日野市民の後輩お嬢様と、いつか対等に地元の話ができるようになるまで、わたくしの探求は終わらないのですわ。

このようなことがあって今に至るのですわ。今年も聖歌隊はたくさんの後輩お嬢様を迎えるおつもりですから、彼女らとまた熱い地元トークを繰り広げることができるように、沈黙が場に満ちないように、様々な土地に関する情報を吸収していますわ。それがノブレス=オブリージュというものでしてよ?

ああ、家にこもって知識を吸い上げてばかりでは刺激が足りませんわ。わたくしの知らないところに住んでいるという平民は、DMで決闘を申し出あそばせ。少しぐらい相手をしてあげてもよくってよ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?