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おじさん小学生の読書メモ1回目

ということで、気が向いて時間がある時に、読書メモをつけることにしたものの、なんと書籍名を全部ちゃんと書くのが面倒くさい!

なので、短い名前のもの以外は、あとで自分が思い出せるような略称になってしまうの場合があるのをご容赦いただきたい。こんな雑な姿勢の読書メモ記事を見たことがない。小学生だからという言い訳が通用するか?

系譜が好きっぽい

来週の木曜日に勉強会があるので、それまでにモース「贈与論」を読めるだけ読んでおこうと思って読んでいる。「毎日4種の本を1文字は読む」というチャレンジの一環でもある。

それからデュルケーム「宗教生活の基本形態」を読むと、なんとなく、これは「野生の思考」にも通じるというか、同じ人が書いたのか?と感じる部分がある。

これは勝手に自分の中で、議論の「系譜」を感じているからだろう。まあ、言ってみれば、これらの本を読んでいるのは「おじさん小学生」という一人のおじさんなのであるし、その系譜と呼ぶものもおじさんの中にだけある感覚にすぎないのだろう。

つまり実際の社会学の系譜と重複する箇所はあれど、この「系譜の感覚」自体は固有の体験ということになる。これを近い分野の書籍にあたることで、あたかもマーベルユニバース的な興奮に結びつけることができそうな予感もある。

ペソアをかじってからタブッキの「フェルナンド・ペソア最期の三日間」を読んで号泣した時の興奮だ(レクイエムやインド夜想曲も素晴らしい作品だが、同種の興奮が生じたわけではなかった)

な〜んだ、書籍名ちゃんと書いてるじゃん

せっかくなので読むのも楽しい

先述の通り、来週木曜には贈与論に関する勉強会がある。せっかくコミュニティの古参なので新たな知見を引っさげたいと意気込んで、地元の図書館にあるモーリス・ゴドリエの本を借りてきたものの、全然贈与に関係なかった。

「経済における合理性と非合理性」なんかマルクスの資本論がどうしたとあって、経済学の本だったっぽい。

何にも関係ないし門外漢だけど、せっかくだし読んでいる。面白くないわけではないが前提知識が乏しいので、楽しみきれてないことが自分でわかる。

モーリス・アレーの合理的行動の定義というのがなんとなく良かった。

われわれは、科学的論理からひきだされるように見える定義に訴えざるをえない。それにしたがえば、人間はつぎの場合に合理的であると評価される。
(a)彼が首尾一貫した目的を追求するとき
(b)彼が追求される目的に適した手段を採用するとき

結局、ゴドリエの贈与に関する本「贈与の謎」は楽天で買った。火曜日に届くので2日で発表できる段階まで読み込める気がしないが、せっかくなので掬読でもなんでもいいから慌てて読んでみよう。

あとなんだっけ

現象学おさらいせな、と思ってフッサールの入門書を借りてきたので、それを読もうというのと、ブルデューについて記述があった「再生産論を読む」という本をちょっと読んだ。

ブルデューは再生産論だけのひとじゃないけど、という前提で再生産論的部分にフォーカスする感じだが、再生産論って何?と訊かれてもうまく答えられない。というか知らない。

なんか…世代によって格差が「再生産」されるってことでは?みたいなボンヤリしたイメージでいる。結局ブルデュー以外の章も読まないといけなさそうだけど、これは図書館の期限が迫っているのでとりいそぎブルデューの部分だけ読む。

この前返却したブルデューとヴァカン「リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待」が良かったのを思い出した。久々の「何が書いてあるんだか分かんないのに楽しい」本だった。あれで「現象学ちゃんと理解しよう」と思ったんだった。

というわけでついでに余った貸出枠で「存在の解釈学」というハイデガーについての本も借りていたのであとがきだけ読んだ。こういう本を出版できる大学の助成制度は本当にありがたい。インターネットだけでなくこういうインフラが活用できる世界でほんとうに良かった。内容は激ムズそう。

どうせまた、全部は読みきれずに返却するのだろうけど、こうやって記事にしておけば読みかけの本のことを思い出すことができるだろう(逆に記録がないと思い出せないのもどうかと思いますが)

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