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おじさん小学生の読書メモ11回目

昨日の予定通り、「ドゥルーズの哲学原理」「シリーズ哲学のエッセンス ライプニッツ」「ホワイトヘッドの哲学」を読む。

ドゥルーズは「ドゥルーズ 解けない問いを生きる(増補版)」を読んだり、「動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」を読めてなかったりしているのだけど、この本はサラサラと読みすすめることができた。なぜだろう?

國分功一郎さんの本を続けて読んでいるからかもしれない。自分が受け入れることが出来る文体の著者というのが限られていて、そういう人に当たると他の本よりもペースよく読める。

それからライプニッツの入門書へ。ライプニッツも読もう読もうと思って読めていなかった。思ったよりも広い分野に功績を残した人らしく、すごかった。「モナド」という概念を自分が初めて聞いたのは、レヴィナスの解説本だった気がする。

ホワイトヘッドの本も、何度も借りては返している本だったのだけど、今日いきなり開いたページで、「ドゥルーズが、ライプニッツについての著作で、ホワイトヘッドを紹介している」という記述が出てきて笑った。雑多に本を読んでいれば、こんな偶然もあるだろう。

哲学に限ったことではないだろうけど、その分野の人たちについて調べると、同時代人として、あるいは系譜として、知っている人たちの名前が出てくるのが楽しい。詳しくないがマーベル・コミックでヒーローたちが集結する楽しさというのはこういうものだろうか?

ネットワークについて考えている。自分の活動や行動によって得られる利益(精神的なものを含め)を、指数対数的にとまではいかなくても、どんどん大量に得られるようにする仕組み、広義での「複利」のような仕組みが、生活の中に足りていないな?という感覚が最近生じてきた。

それを実現するものの一つとして「規模の経済」があるだろう。フォロワーを集めて影響力を倍加させていくとか、ユーザーをどんどん増やして利益を上げていくとか、そういうやつだ。

でも、そっちには適性がないので、代わりにネットワークを組むことを考えていきたい。影響力の連鎖ではなく、組合せ爆発を狙う。

知識やスキルの組み合わせ数を増やすために、そのネットワークを更生する支点を生み出すことにコストをかける。その振る舞い自体が毎日のルーチンになるか、ルーチンによって支点を育むか、そのあたりはまだあんまり分からない。

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