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でち日報2023/10/23

困ったな〜、あるいは、困りが可視化されたに過ぎないのかもしれない。

自由時間ゼロで仕事をしても、予定していたタスクをほとんど消化できなかった。これはさすがに、努力とかではなく構造的な無理があると判断していいだろう

それは全タスクをチーム内に共有し、暗黙的にパスしていたタスクも明確に滞っていることがわかるようになったためでもある。明示されていない問題に取り組むことは難しい

Twitterより

自分のEvernoteにしかないのかと思うと、インターネットうーむとなる

英文を直接読む→翻訳にかける→要約させる→要チェック表現を見る

まあ結構集中して作業していたので、体も動かす必要はある

夜は寝かしつけからの即就寝となるので、夜になにかできるとは思わないほうがよい

スラムで議論になっていた「ロジカル」と「バイブス」の話についてまとめ

特に負の感情を吐露することは、読み手に危害を加えがちなので、自分にしか見えないところに書き出しておいて、その中から害のないものをスラムに書いたりツイートしたりして、最後に日報で振り返る

これが自分に合っている気はする。日報を一日のどのタイミングでやるのかがまだちょっと決まっていない。朝は別のことに頭を使ったほうがいい気がするが、日中は飛び込みの仕事があるので安定しないのよな

結局法人カードを作ることにした。書籍からもキャッチアップぞ

先述の通り、自分の全タスクをNotionのtableで管理し始めた。いままではアウトライナーで日次更新していたが、これだと死蔵タスクが目について無視できない

その結果、必要な作業が一日に収まらないことは明確となったので、うーんどうしたものか。急ぎのもののうち、終わりがあるものを優先しつつ、一生やらないキャッチアップも消化しつつ…と、歯ごたえのあるゲームデザインになっております

自分を何に使ったらいいかわからない人が、その若さを経験に換金するために率先して失敗しようとしているのだから、構造上常敗常勝が確定している。

愚か者と罵られながら笑っていられることは、楽観的であることでではなく、その目的設定によっても可能である

泣き言オブザイヤー。わちゃわちゃしてると文章が読めなくなる!

これ、夕食時に絶対忙しくなるから「17時〜21時は連絡つながりません」くらい周知したほうがいいかもしれない

Evernoteより

俺が言う他者の「からだ」とは、「取り返しのつかない印象」か?

たしか「ムラブリ」を読んで

自分は、なんとなく「気」と呼ばれているものは「身体への想像力」か、それにリンクしているものなのではないかと思っている節があり、いや?それはあんまり関係ないか?

え…なにこれ?どういう意味?

自分のメモが何を意味しているのか分からない(アホ)ので、逆にこのメモからどのようなことを連想するかを書くしかあるまい

まず、俺は生身の他人がすっごい苦手で、心を開いた相手以外と物理的に時空を共にすることに嫌悪感があります

それはこの前言ってたみたいに、自他の「まなざし」の負担もあるんだけど、それとは違う階層で、他人が「いるとみなす」ことが実現するとき、そこに当然に発生する取り返しのつかなさと、そこに生じる非接触的な(バーチャルな)情報の共存があって、そのことを言っているようにも思える

だからなんなんだというと、そうだな〜、取り返しがつかないことへ自ら進み出る(入身)することで、この特性を克服まではいかなくても、何か一時的に無効化できる、あるいは暗黙的に無効化しているということが、あるかもしれない…うーん

得られた知見:メモは3ヶ月も空けずにさっさと振り返ろう

ケアは価値の破壊的側面があることを意識しなくてはいけない。人間の霊性を取り戻すための労働力の供犠

まーた門外漢のくせに自分の知識に寄せて解釈してる

せめて断言すな!これは「いるのはつらいよ」を読んでる時のメモか?

ケア・セラピーについては、贈与同様に、本当に深淵なトピックの一つなので、多少かじったくらいで評論できるものではない

まあ当時は、こうしてメモを公開する予定もなかったから、人に見えないところで傲慢になっているいい例ですね

これはもうちょっとケアについて色々読んでから、合っているかを検討したい(たぶん忘れてしない)

Twitterに投稿すると、Twitterの力が増す。それは仕組みとして当然で、それをやめたい。
でも、他のSNSではこれまで得た関係性が活かせないし、人も少ないし、つまり効果が薄い。なのでツイッターになってしまう。
でもツイッターのはじまりのときは全員がそうだったろ
そしてマイクロブログであることをやめたい。
となると、そうした条件の中で、影響力を発揮しあって経済的、経験的価値を増幅させるにはどうしたらいいの?
(略)
俺はもっとゲリラで歪にやりたい
場の空気ってあるから、清濁併せ飲むのでなくてはいけないが
マストドンも

たぶんXに移行しかけてた頃のメモ

締めの「マストドンも」で笑ってしまった。完全に忘れてた。BlueskyもDamusもMisskeyも完全に停止している

はるか昔の記憶を遡ると、Twitterはフォロワーゼロで「借りぐらしのオヒカエナスッティ」とか謎のツイートを延々するアカウント(削除済)を始めて、そこから他の人と交流が始まった(どんな???)のだったと思う

今思うと、自分の人生の転機は、ツイッター上の有名人に絡んだり絡んでもらったことから始まったから、そういうフック?が他のSNSにはないのかもしれない

Misskeyは運営をはじめとする中心人物が明確なので、そこにアプローチするのはいいかもしれないけど、そもそも絵師絶対権力SNSなので無理


一方で「マイクロブログであることをやめたい」は、日報で実現できているかもしれない。いや、ツイートを元に増幅させてるだけではあるが…

今はタスクがパンクして死んでいるけれど、当初は読書感想文や雑文もnoteに単発で投稿して、習慣化を試みては失敗、を繰り返している状況だった

同時に、note一本なのもどうなの?とは思うが、プラットフォームを選定する以前にこれ(日報)しか継続できてないので、それはまだ考えようがないわねという感じ

「影響力を発揮しあって経済的、経験的価値を増幅させる」については、まったく関係値ゼロからではなくて、結局もとから仲のいい人達とやってはいるので、公的SNSでだれか〜と呼びかける動機もあんまりなくなってしまった。これは比較的いいことだと思う

ともかく、色々と不満のあるTwitterに参加することへの後ろめたさとどう共存するか。これは国家たるものに包含されながら、どう生きるかという問いと相似形になっている。ということも以前書いた記憶があるな

祈りは責任逃れにもなる側面

エグいこと言うね

長くなったので今日はここまで!しかしEvernoteのInbox整理は、こんなペースで巻き返せるのだろうか?ずっと3ヶ月遅れも、それはそれで意味があるような気がしつつ



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