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でち日報2023/05/16

月末定例作業の前に、開発の仕事をひと段落させるため、早めに読書語学ルーチンをオフにして、段取りを組む…組まねば…と思いつつ、夜になってしまう。

仕方がないのでEvernoteに口語体で状況をガチャガチャ整理していくと、なんとなく筆が乗って、ちゃんとそれらしい工程表ができあがる。やった〜!

ここまではできる。問題は実際に手順に従って作業をすると、どうしてもうまくいかないことだ。それはもう分かっている。そういうことがつらい。

どうせカフェインを入れて、なんとか力技で押していくしかないのだけど、冷静に考えると、まず、この時点で自分は「なにもできない」人間ではない。

アイデアや発想、段取りや空論、それに自分が実行するわけではない他人へのアドバイス、このように「実行」の要素が無いか、薄い行為であれば可能である。何なら平均よりは、できると言ってもいい(自負があるとは珍しい!)

また、こうした思索と実行の間には、グラデーションがある。たとえばメールなどの連絡業務は「実行」だが、考えることに近いので、できる。

しかし考えることに近いプログラミングには、困難さがある。

単純作業には抵抗があるが、音楽や動画・通話などで気を逸らすとできる(ミスはある)

実は読書や語学学習は、かなり「できない」に近い。とはいえ業務にあまり関係ないので失敗を恐れず、ふんだんにコストを投下して、無理やり「実行」している。

一方で、ルーチンの中には、明確に「実行」に属しているものでも、継続できているものがある(毎日でちお君を風呂に入れるとか)

いつも思い浮かべがちな「なにもできない」というか「俺はダメだ」という類いの思念は、解像度が粗い。その認知は何らかの情報であるものの、情報として活かすためには、どこかでそうでない部分、自己を肯定する部分があることを、認めなくてはいけない。

まあ「ある特定の領域に、困難さを抱えている」といったところだろう。では、その領域とは何か?また、その領域を避ける以外に、困難さを克服することができまいか?

思索は得意なことなので、ここから先を考えるために必要なことはリネーム(呼び名を変えること)だと分かっている。上記の例を鑑みるに、「実行」が困難なのではない。「実行」に重なる、別の何かに困難さがある。

「責任のともなう失敗の有無」だろうか?しかし連絡ミスによって責任を負うことは、今までも何度もあった。そのことで連絡業務を恐怖するようになったということはない。

「コスト感」はあるかもしれない。大変そうなことができない。しかし、ものを考えるということも、突き詰めれば大変なことである。

「突き詰めなければいけない(一定のクオリティを求められる)」だろうか?いや、確かに学習や訓練というものはまともにできないが、今引き受けていることの全てが、クオリティを求められているわけでもない。つまり、突き詰めなければいけないわけでもないのに、できないタスクがある。

「おトク感」は、上記の3つを組み合わせたもののように思われる。時間や気力というコストに対して効果が割に合うのでなければできない?いや、そうなると、贈与欲求が人一倍強いことの説明ができない。あるいはそれは、おトク感がないと動けないことへの反動としての贈与なのか?なんだそりゃ???

あ〜「報酬までの距離」はあるかもしれないな。大きな利益のために、半年頑張り続けるみたいなことができない。実際、試験勉強も進んでいない。

半年と言わず、3日間とかでも無理だ。逆に、これが非常に割のいい報酬が見込めるということであれば、一つのことに2〜3ヶ月は邁進するというパターンも大いにあったものだ。

報酬までの距離が遠いのを、じっと耐えるくらいなら、いっそのこと、まったく見込みのないことの方が継続してやれる。そうした放蕩行為が思いがけない利益に結びつくという成功体験もたびたびあるからだろう。

ならば、昨日の日報に書いたことでもあるが、いったん長期的な見返り・対価というものを考えない方が動けるということではないか?試験を受けることを忘れて試験勉強をする。対価を請求することを忘れて業務にあたる。

ただ、これは、かなり条件が揃った場合にしか有効ではない。見込みのない語学や読書、映画鑑賞という習慣も、けっこうおざなりになりがちなのを、思い出しては再開しているにすぎない。

「思い出したら再開する」という態度でできる業務というのは、ほとんどないか、あっても質に影響が出てしまう。

かつては作業通話によって、なんとか進捗を出していた部分があるが、自宅育児によって決まった時間に接続できないこと、業務の種類によっては通話が邪魔になる場合があること、などがあって得策ではない。うーむ

9時になってしまったので、まとめよう。

・業務において、特定の領域に困難さがある
・それは「報酬(結果)が出るまで長期的」な業務ではないかという仮説
・いったん長期的報酬を忘れたほうが動けるか?

というところまで考えた。全然弱い、つまり具体的な新規行動に結びついてこない。

が、大好きな「思索」はこれくらいにして、ルーチンの「実行」に戻ろう。続きは明日考えること。



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