おじさん小論文06 「発表の場について」

 ここまでのおじさん小論文では、基礎的な各種訓練を継続させていく自分の生活を一種のビオトープとみなして、既存の予定と新たな興味とを共存させていくところまでを論じてきた。

  今日はそのビオトープの外側について書いていきたい。

自分が直接ふれている外側

「外側」には、いくつかの階層がある。自分が属しているコミュニティの閉じた空間、外に開けてはいるが常連さんもいる空間、お互いの関係性が希薄になるほど開け放たれた公共的空間、さらなる外側には自分に一切関わりのない世界も存在するだろう。

 そのうち内側から数えて2つ目まで、つまり属している「コミュニティ」「開かれた場」との関わりについて考えをまとめていきたい。というのも、その2つが自分のビオトープと直に接している空間であり、そこには無視し難い相互作用があるためである。

 その作用の一つが「フィードバック」であり、これを抜きにして自分の生活を律することが、今の自分には難しいというくらい、すごい力を持っている。

フィードバックの何がすごいのか

 本来であれば、おじさんが小学生の真似事だなんて、勝手に一人でやっておればよろしい。

 それをこうしてnoteに投稿したり、自分が属しているコミュニティに定例報告しているのは、そこからフィードバックを得られることで、習慣の維持とPDCAサイクルの高速化を実現できるからだ。

 自分でやると言ったことを、実現して褒められると嬉しい。逆にできないと恥ずかしい。そういった自分の俗物な部分を活かして「せっかく宣言したし、やらないとな!」と自らを奮い立たせることができる。

 そればかりではない。うまくいかない部分については問いを立てることで、客観的な意見やアイデアをもらえることがあるからだ。アイデア自体がフィードバックに含まれなくとも、フィードバックからアイデアが生まれる場合もある。

 新たな具体的行動は現状を打破し、より良いものにする力を秘めている。それはサッカーで言えば一発のシュートである。得点になるとは限らないが、得点するためには欠かせない。その「シュート」を打つきっかけが得られることが、フィードバックの素晴らしさである。

一人でできるようになってなお

 ここで「相互作用」と言ったのは、自分が逆の立場になることもあるからだ。「コミュニティ」と「開かれた場」によって触れることができる「他者のビオトープ」に向かって、こちらからフィードバックを送ることもできる。

 そしてそのフィードバックによって相手のビオトープ内で発生した「シュート」についての報告が、今度は自分にとっての新たなフィードバックになりえる。こういったコール&レスポンスがあると、新たな行動とその評価を高速で回転・発展させていくことができるだろう。

 その力を借りなければいけないほど、今の私は弱い。こうした投稿と報告の場が失われた途端、元の自堕落な生活に戻ってしまうはずだ。

 ゆくゆくは、新しい行動によるPDCAを一人で回していけるようになるのが理想かもしれない。でもそれもどこか寂しいので、できればこうして自分の外側に向かって、何かを発表すること自体は続けていければと思っている。



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