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おじさん小論文04−1 「タスクとアウトプットについて(のブレスト)」

 自分を一つのビオトープ(野生動植物の生息地)とみなしたうえで、一日をどのように過ごしていくのかという問題について考える。

 作業とその予定は大きく二分される。ひとつは「毎日やること」、もうひとつは「終わりがあること」である。

 前者のトレーニングや習慣については、ある程度定着してきたものの、後者の単発作業や長期作業がうまく消化できない。それが結局、全体の進行に影響して習慣やルーチンが崩れ、すると体調も崩れ、やがて生活が崩壊する、というのがお決まりのパターンだ。

 あるいは単発作業のための枠を一日のうちに設定したり、いっそのこと単発作業を全てオフにしたとしても、毎日やっている作業のうち、所要時間が大きく変動するものの影響は免れない(この小論文が、今まさに他の作業のための時間を大きく喰っている)

 生態系でいえばバッタや藻の大量発生のような状況なので、これは安定した環境とは呼べない。この大量発生を一時的な現象に留め、できるだけ早く正常化させるには、どうしたらいいのだろう?

 ひとつは「大量発生は、ある」ということを認めることだ。予定をオーバーした作業や脱線は、完全にゼロにすることはできない。したがって、それが他のタスクに影響した結果、予定通りに消化できないということは、なんら不自然なことではない、とする。

 問題なのは、そこからの二次災害のほうである。つまり、予定通りではないことによる精神的消耗である。これが気力の乏しい自分にとっては殊更に大きい弊害になる。平たく言って「思い通りにならないなら全てどうでもいい」と、すぐに感情的になって、構築した自分の生活を全て破壊してしまう。

 この大破壊を発生させないまま、なんとか生態系を正常化する方法を身に付けたい。大破壊は何らかの二次的な代替措置なので、休むなら「休み」を、遊ぶなら「遊び」を、行動として選択する主体でありたい。

 アウトプット、例えばこうして記事をまとめて投稿するということは、外的な区切りになる。その区切りと、自分が一日のうちにものを考えることの区切りがズレたとき、それをどう補正するべきか?

 毎日投稿はしたい。自分の内側の継続とは別に、外的な継続をアウトプットという形で実現させたい。だが、それは生態系が安定していない現在の状況では、まだ難しいのかもしれない。

「ストックがあるか」ということを、その判断基準にするというのもいいだろう。自分の内側でアウトプットの量と質にムラがあったとしても、それを外に出すまでに平準化できれば良い。そのためにはアウトプットにストックが必要だ。調子の良い時(調子に乗っている時)には多く作り、調子の出ない時には少なく作り、あるいは作らず、しかし投稿は毎日1つずつ出す。そういうスタイルではどうか?

 それが今まで実現しなかったのはどうしてか?自分が用意したアウトプットを、自分の元に留めておくことができないのはなぜか?その性癖は訓練によって書き換え可能ではないのか?

 ということで、まず外的なアウトプットタスクは、ストックを用意することを前提とする。そして、ストックがある限りにおいては、その日の予定所要時間を超えた時点で次の作業に移る。

 しかし、これだと直ちにストックが枯渇するのではないか?と考えた時、イラスト作業の完成速度を上げるためのトレーニングをしていることを思い出す。

 イラストとは別の方法で、アウトプットの質と量に対する所要時間を短縮することが出来ないだろうか?

 生態系の例えを採用しているせいか、「鉢替え」のイメージがある。アイデアを「あとは文字に起こすだけ」の状態にするまでのプロセスを、もっと効率化させることができるのではないか?

 渾然としたテキストについては個人的な日記でやればよい。あくまで自分の能力を増進させる目的での、対外アウトプットを意識しているのであれば(このように公開ブレスト文章を打ち込んでいくのではなく)生成プロセスを整理して、読みやすく伝えることを第一義とした文章を作るべきではなかったか?

「小論文」なのだから、このようなプレテキストを、そのまま排出するのではなく、いくつかの段階におけるパッケージングやバリ取りをしたもの。製品と言っても差し付けのない水準を目指すのではなかったか?

ということで、新たな具体的な行動の方針が出た段階で、この文章をプレテキスト(4−1)として強制的に終了させ、同じテーマと同じ内容の、より小論文らしい文章を、明日改めて作っていく。またその製作プロセスを可視化し、今後のアウトプットの鋳型として改良していきたい。


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