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おじさん小論文09−2−5「学習についてその2(動機について5)」

 今朝は予定外の話題で沸騰してしまい、定例作業が全体的に遅延した。優先順位に従い一日のうちに消化可能な量までタスクを減らして作業していくが、小論文はちゃんとやりたい。

まずは前回に引き続き、この「おじさん小論文」を続ける動機について書いていきたい。

動機6:新しい人や仕事とつながりたい

 一般的な就労が不可能な理由に「人から頼まれたことができない」というものがある。就労そのものが、雇用という人からの依頼の一種に基づくものでもある。

 だから、こちらが勝手にやっていることに、誰かに勝手に価値を見出してもらう他に生きていく方法がない。そこに届くためには多くの関門を突破しなければいけないが、定例アウトプットはその最も低いところに位置する最初のステップであると思う。もちろん誰もが毎日何かを発表しなきゃいけないということではなくて、自分にとって。

 あとは縛りプレイにしないと、すぐに何もしないまま何ヶ月も経過してしまうのが怖い。できるだけ常に開かれている状態を維持したい。自分に都合の良い方の慣性を利用したい。今日も予定が狂ったが、もしこれも毎日やると決めていなければ、何もせずに夕方になっていただろう。

動機7:小学生活動のバリエーションを維持したい

 これは考え直して、自分の興味のある分野を、小学生活動として包括したいということの方が近い。仮に小学生活動をしていなくても、何がしかのテキストを作っているので、これを包括的な見立てに組み込んだということにすぎない。したがって、これは動機というもほどのものではなさそうだ。

さて、以上を踏まえて、ここからどうしていくかを考えよう。

小論文を自分の地図にする

 自分の生活や、それに対する見立て、またこの小論文作りそのものについて、文章を重ねて、指摘を受けて修正し、またその適応範囲を拡大していくことは、なにかの地図を作ることに似ている。

 今後も想定外の事態が起こったり、作業の負荷があがっていく中で、自分の認知や健康もろもろについてのモニタリングを可能にするために、言語的体系を自分の中に持っておくのは無駄ではなさそうだ。

 問題は自分が書いたことを全部覚えていられないことにある。だいたい前回分くらいまでが一度に見通せる視野の距離になっている。これをまとめるか、訓練によって、小論文で論じている領域を一括で俯瞰できるようにならければ、地図とは呼べない。

 次回は、ここまで小論文と称して書いたテキスト全体を俯瞰・管理するためにどういった手段をとるべきなのか、について論じるとともに、その実践を続けていこう。 

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