おじさん小論文09−2−4「学習についてその2(動機について4)」

前回までに分かったことは、自分には内発的動機が無いということである。

 純粋に「それ自体をやることが目的」というものが無く、代わりに生活に困るなどの何らかの欠如や欲求不満を持ってしか行動がとれない。その結果、欠如と不満の解消から無意識的に逃げようとしているのを何とかしたい。というところまで、考えを掘り下げることができた。

 ここまで考えたところで、当初予定していた道筋に戻っていきたい。「おじさん小論文」における内発的動機(それは厳密には「内在した外発的動機」だったが)について詳しく書いた後は、外発的動機(外在した外発的動機)について文章にしていこうと思う。

動機5:毎日小論文を提出して、喜ばれたい・褒められたい

 これは「文章を人に見せて喜ばれたい」と「毎日何かを発表したい」の2つに分けることができる

・文章を人に見せて喜ばれたい

 だいたい大学生くらいの頃からか、なにがしかの文章を作って生きている。そのほとんどは他人に見せられないもののまま消えていったけれど、一部は誰かに見てもらったりして喜んでいた。

 こんな風に、矯正も擬態もしていない自分がそのまま、許容されるにとどまらず相手を快くする(評価されるとは別に)ということの原体験が2つある。どちらも幼稚園での出来事だ。

1.お遊戯会で唯一のセリフにアドリブを効かせたらウケた
2.クラス全員が何かで怒られていた時に手を上げて言ったことがウケた

この2つの記憶が、周りのリアクションを含んでいるという点に注目したい。もしも周り関係なしに「自分が言いたいことを言った」という原体験になっていれば、それは内発的動機につながったのかもしれない。

 また、これが今、そのまま「人前で話したい!」にならず「文章を作りたい!」になったのはなぜかというと、単に自分の所作や容貌に問題があるからだった。人前で話すこと自体は苦ではないが、人前に「姿を晒す」のが嫌だ。

・毎日何かを発表したい

 タスク管理によって、毎日を定例化しようとはしているものの、そこからのアウトプットは体調やインプットの量などによって一定の質と量を維持することが難しい。

 この難しいことをできるようになりたい。内側では激しく乱高下を繰り返しているものを、同時に外側では「いつもと変わらない様子」にしたい。

 その一環として、定例アウトプットがあり、おじさん小論文をその代表的なものにしたい。そうすることで、自分の精神のムラで周りに影響を及ぼさずに済ませたい。

 もちろん、影響を最も少なくすることは、何もアウトプットしないことでなので、これは「文章を人に見せて喜ばれたい」場合に限った動機と言える。

日曜日ということもあってか、予定の時間を大幅に過ぎてしまったので、残る動機(新しい人や仕事とつながりたい、小学生活動のバリエーションを維持したい)については、明日以降書くこととする。

(ブレスト13:09 本文44:56)

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