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おじさん小学生の読書メモ10回目

ということで、今日も1時間程度読書。

読み始めた入門書で、マルクスが想像以上に有機的な思想を持っていたということがわかった。人間が何かを占有している状態自体が自然ではないという主張だった。この人間の自然さを尊ぶ発想が、どうやって革命という不自然な(あるいは闘争状態が自然ということ?)運動に帰着したのかが気になる。

日本の安保闘争とかが終わった後の時代にいるので、それが何だったのかがいまいちわかっていない。革命運動は世界中にあって、ポルトガルでも、秘密警察と思想家たちの時代があったらしい。ヒトラーですら「富を何者かに奪われている」と憤っていたのだった。つまり枯渇と飢えが前提の社会だった。

今日、少なくとも自分は、何者かに搾取されているという気持ちになれない。社会は不平等だが、特定の悪をぶち倒すことが根本的な問題解決になるとは思えない。もちろん不正や欺瞞を正すべく立ち上がる人たちを責めるつもりはないけれど、たぶんそういった方法で解決できることのほとんどが、すでに解決済みなのではないか?

異様に発達した社会で、いまだ残されているのはすべて人類史上最難の問題群だけではないのか?…それはまあ、いつの時代でもそうなのか。

ベンサムの本は、彼の生い立ちを追うものだった。飛び級で名門校に入ったベンサムは自分の宗教的手続きをテキトーにされたこと、その一方で、ただ聖書を読みあわせたくらいの生徒を異端として追放したという学校側の処理に、完全に怒りのスイッチが入ってしまったらしい。頭のいい人が多感な時期に、何か大きな出来事を目の当たりにすると、人生がそれ関連になるというパターンだ。

ベンサムのモチベーションは一貫して「今の法律、おかしすぎない?」ということだった。ということがわかると、主張の全体も理解しやすくなる?他の参考書も読んだ方がいいような予感がある。

今日は「功利主義」をお休みして「自由主義」を読んでみたら、ミルの奥さんが亡くなっていたらしく、悲しい謝辞?から始まっていた。

「スピノザの方法」では「スピノザの世界」で引用された箇所が出てくるので、見たことがあると何となく嬉しい。「方法の無限遡求」の話題も出てきた。一つの書籍や人間に対する複数の参考書を読むときの楽しみはこれだなあと思う。

遅く起きたのでこの程度で今日の読書は終了。明日は読んでないドゥルーズやらホワイトヘッドやらライプニッツの参考書を読むぞ。

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