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面白いだけではつまらない でち日報2023/08/28

午前中は子守りで潰れるとして、午後から進捗を出すべく、ここでいったん頭の中を棚卸ししていく。ツイートを載せて追記するスタイルが自分に合っているようだ。

映画を観るということが、自分にとって思いのほか重要であるという仮説を立てて、それに従って実証することができた。うすうす分かっていたことではあるが、こうして問い→仮説→実証→評価のサイクルを回せたこと自体が嬉しいね。

8時間くらいぶっ通しでビデオゲームするのも楽しいが、それをやると人生が終わるので、2時間で同等の効果を得ることができる映画は素晴らしい。

俺が「ビッグフィッシュ」観るたび号泣するくらい好きなことを知っている奥さんから、今回の「落下の王国」における虚構の取り扱いについてはどう評価するか聞かれたので当然オタク早口をかました。

後述する「メタ化による去勢」にも関わってくるけれど、こういうエッセンスを知っているか知らないかで命運が分かれる場面というのは、やはりそれなりに具体的な行動を重ねたあとの話なので、いったんは面白さ以上のものを求めることができない。つまり「面白いだけではつまらない」のである。

したがって、個人的に考えなくてはいけないことは、「面白いだけ」をどのように実務・実働に変換させるかということに他ならない。「おもろうてやがてダメージ」である(であるか?)

周りのストロングな人たちに感じることであるし、何より自分自身が、人生に絶望していた頃の自分の感覚を正確に思い出すことができない。できなくはないけど、なんというか手続きが必要になる。

この断絶に自覚的であるかどうかは制御できると思うし、そのような傲慢さを振りかざされたときにも、こういう仕組みを思い出すとソウルジェムの濁りを抑えることができる。

自分にはできないことをできる人に、何かを気づかせるだけで世界が変わるなら、そんな『おトク』なことはないもんな

まあヒイヒイ息継ぎしながら泳ぐ(溺れる?)のも楽しいもんよ

月末進行ながら心の余裕がある!だからむしろ状況に慣れてなくて、うまく力を流せていないことに苦味を感じているのかもしれない ↓

面白いし、そろそろ読み終わるんだけど、これを実生活にどう活かせばいいのかは全然わからない。ずっとそういう読書をしていたい。

言葉にできないものが、私たちに働きかけているということを認めると、その力を借りることができるし、それを認めないことによって力の侵入を防ぐこともできる。

でもこういうことが分かる人、分かる必要がある人っていうのも限られているわけで、じゃあそういう少ない人たちが、その力を抱えたまま健やかに生きることに寄与できたらいいなという気持ち

自炊は楽しいからしてるの!という気持ちもあるんだけど、2人で外食したら1500円前後かかるところを、自炊したら光熱費込みで500円くらいに抑えられるので、差額で新書が買えちゃうっていう。

何かしなきゃと焦って病むくらいなら、倫理に悖るサボりをした方が、逆説的に周りのためにもなるということを認めるには時間がかかる。

午後は作業通話をしながら、情報の整理と日次タスクの前倒し、請求書関係の個別連絡、開発の続きをやっていくぞ

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