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でち日報2023/07/25

昨日はキューピーコーワゴールドとペプシを一緒に飲んでラリった状態で開発を進め、在庫管理システム自体はようやく完成。あとは送り状システムと連動する本番環境への移行、その前に送り状システムの機能追加と年次比較グラフの動的生成までできれば、今後の仕様決定に合わせて微調整するだけで良い。

言っておいてなんだけど、「開発」と呼べるような作業だったのかは疑わしい。とにかくハウルの城みたいなコードが、ガチャガチャ動くようになったという状態で、一通り誰でも読めるようにコメントはしておいた。

送り状CSV自動生成と在庫管理システムの連動の次は、顧客情報と納品管理の既存サービスが取り込めるようなCSVを吐き出すGASを組むという段取りで、こちらは開発元にフォーマットなどを確認中。

エンジニアとしての正規の教育を受けていない身で、よくまあやってるとは思う。品質をチェックする仕組みがない以上、さすがにこれで相場の金額をもらっていたら、プログラミングの神に祟られるだろう。

一方でこうした、「プロに頼むほどではないが未経験者には無理」という領域で生きていきたい。世の中には、まともな人がかかずらうには、あまりにも誰にやらせてもいいような雑務が多い。

そうした仕事未満の仕事を一手に引き受けたい。が、能力の高い人にやらせるわけにいかない仕事を、引き受ける自分の能力が低いのがつらい。これはもう、そうでなければいけないと分かっているけれど、つらい。

自分ごときでも問題なくできるレベルに落とし込んだ作業をもって、はじめて他の人たちにパスできる。つまり能力の低さを逆手にとってマニュアルを整備する、という手法をとっているためである。

感情的な消耗がここにあるのかもしれない。たとえば自分のやっていることが、この世で自分にしかできない、かつ高い水準の作業だったら、誇りをもって目覚ましい進捗を出せる…のか?

もしそうならば、作品作りが滞る理由がない。作品は曲がりなりにも「この世で自分にしかできない高い水準の作業」であり、ましてや依頼されたものであれば、なおさら一心に取り組んで、ただちに納品できるはずではないか。

一方で、散漫になっている意識に任せて、ずっと揮発性の高い思考と断片的な作業を繰り返すこともまた、不快であるというか、快さの不在感が強い。

そしてタスク管理的な手法がマッチする時期と、いかなる仕組みにも管理されず、完全に気の向くままにでなくては行動できない時期とが交互にくる。

しかし、こうした荒れ狂う精神状態のまま、子育てと定例業務をまわしている状況があるということは、もはや個人の能力とは別の力が働いてると考えたほうがいいのか?主体のない祝福とでも言うような?

なんのことはない。自分の能力というものが、極めてアンバランスであるということに過ぎない。

特に実行能力と認知能力にひどい乖離があり、極端な眼高手低であることを白状した上で、謹んで周りに助けてもらい続けるという、情けなくもありがたい状況がここ数年続いている。

なんか上級者向けなんだよ!キャラ性能が!!!なんでこんな使いづらいやつを選んでしまったのか(選んだの?)

だから、そういう意味での権力・権利ということが常に差し迫った問題としてある。価値、徳、言語によって他人と共謀関係を維持すること抜きに、この頭でっかちは生きていくことができない。

いうてその、デカい方の頭もいまいち性能が優れていないのではある。

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