見出し画像

でち日報2023/05/23

昨日から、また人に頼んで進捗管理を開始した。初日にもかかわらず体調不良と子守りで、日中はほとんど進捗が出ず。0時を回った頃から意地で仕事を進めた。

奇妙なことに気づく。あまりにも仕事をすることがつらすぎる。それはもう、笑ってしまうくらいに。肋間神経痛と胸痛、身動き取れなくなるような重さ。これは…ここまで極端ということは…間違いない。フェイクだ!!!

その証拠に、もっと切羽詰まった状況、たとえば100件の作業を一晩でやらなければならない状況より、明確につらいからだ。これをトラウマ的、心的外傷的な怯えとしてのつらさと解釈するならば、その分不相応な強度にも納得できる。

このしんどさは「気力の吝嗇」とでも言うような、不確定要素に備えて生き延びるための学習の過剰な現れだろう。たしかに、そういう姿勢でなければ乗り切れない時期もあった。

しかし、今はもう、恐れる事態より、恐れそのものが重荷になっているのだ。これを解くには、時間とコストをかけていく覚悟をせねばならない。

苦虫を噛み潰すことを、享楽として引き受けなくてはいけない。昨日は死にたくなるような苦痛があった。しかし、実際の業務は何も生死に関わるものではないし、嫌気がさすほどのものですらない。俺は怯えている。あるいは、理不尽な過去に今でも怒りを燻らせている。

それを少しずつ、解きほぐすこと。実際に昨日、ひとつの仕事を前倒しで(!)着手できているではないか。実感と事実の乖離を明示して、学習にはさらなる学習をもって上書きする。これはもう個人的な精神治療の類いと言ってもいいのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?