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おじさん小論文05 「やる気と予定について」

新種と既存種の共存

 何かを思いついたり、何かを頼まれると、すぐに舞い上がってしまう。そのことで頭が一杯になり、元々やる予定だったことが蔑ろになってしまう。

 昨日の記事でいうと、自分の「ビオトープ」のバランスが、外来種によってすぐ影響されてしまう。これを何とかしたいと思っている。

「外来種」というと悪いイメージの方が強いけれど、自分にとっては環境全体をより良くしてくれる新種である場合も多い。だから既存種である「予定」と、外から来た「アイデア」や「挑戦」とを、うまく共存させたい。

そのままでは冷凍保存できない

 挑戦(新たな行動)と予定の間には、はっきりと温度差がある。前者が火柱のような強烈な興奮を伴っているのに対して、後者は静けさにも似た熱を、炭や焚火のように放っている。

 場合によっては、「冷めきった予定」というものもあるかもしれない。やる気によって稼働する力がほとんど働かず、習慣として身にしみているものだ。これはこれで、ある種の理想形である。歯磨きや着替えなどがこれに該当する。

 たとえば、ここでいう挑戦を、冷めきった予定に変換するにはどうしたらいいだろう?冷蔵庫に熱いものをブチ込むと、冷蔵庫は壊れてしまう。まず粗熱をとり、場合によっては小分けにしたりジップロックに入れたりしてから、冷蔵庫または冷凍庫に入れる。

 つまり、挑戦を予定に組み込むための、何らかの下準備が必要だということかもしれない。それはこの場合どんなことだろう?具体的な手法がすぐには思いつかないが、とにかく何らかの方法で、挑戦を予定に落とし込んで「保存」し、それを自分のペースが壊れないように消化していくという考え方には、何か使いみちがあるような気がする。

生食もしたい!

 しかし、挑戦の種類によっては「そんな手間をかけている場合じゃない!この情熱を小分けにしたり保存したりなんてやってられるか!」という場合もある。これは食材の冷凍保存のたとえを援用するならば「新鮮なものを生ですぐに食べたい!」という表現になる。

 そう考えると、この場合はどうしたらいいかが、分かりやすい。前もって一日のうちに「生食タイム」を設けておく。新鮮な食材(暴走する情熱)が得られない日は、冷蔵庫にある食材を使えばよろしい。

 これは「ビオトープ」の例えで言うところの「庭」である。僕が情熱によってビオトープを破壊しがちなのは、この「庭」の概念が無かった、あるいは「庭」が小さすぎた、ということかもしれない。

 具体的には、一日3時間の「庭」が必要だ。今までは40分程度で想定していたが、暴走の記録を読み返すと、だいたいそれくらいの時間は使っている(もちろん暴走が1種類ではないとして)

 同時に、その3時間の「庭」を埋めることができるだけの「冷凍食材」が必要ということでもある。いつやっても良くて、やらない日があっても良いくらい「冷えた」予定を用意しておくべきだろう。正直これには困らない。なぜなら何年ものか分からない冷凍食材が無限に…い、いや、この話はやめておこう。

興味をメタ視点で包括する

 方法が分からないことや、頭で分かっていてもうまくいかないことがあるときは、こうして「おじさん小論文」という発表の場を活かして、その全体を俯瞰して記述すること自体の愉しみに耽ることができる。楽しんでいるうちに、具体的な次の一手が見つかると、本当に嬉しい。

 そこには「うまくいかないを楽しむ」「興味がないのはなぜか?に興味をもつ」というようなメタ視点(問題の内容だけでなく、問題の存在自体を問題にするなど)がある。

 必要が無いときまで、ふわふわちメタ視点に飛んでいきがちな人間としては、この戦法はコストも安いし極めて有用であるようだ。もしも、こんな「遊び」がさらに他の人にも喜んでもらえるものになるのであれば、望外の喜びである。


 

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