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おもしろさ・社会の振り子 でち日報2023/08/11

昨日は振込業務と、在庫管理システムの本番環境への移行をやった。あとはあんまり何もできず。コーヒー2杯で進捗が悪かったということは、もう一日デカフェを続けたほうがよかったかもしれないが、振込は10日固定なので致し方なし。

今日は、今日はどうしようかな…日次業務(企画投稿2種)を前倒しにしておくことと。移行後の在庫管理システムの挙動チェック(なにかしらエラーがでると思う)

…あれ!CSVが生成されていないにも関わらずエラーが出てない!?一番困るパターンだ〜!

(修理中…)

よし!なんとかなった!けど…フリガナがおかしくなってるから直さねば。

ついでに備考欄の記入有無チェックと在庫システム側のエラー検出メール送信機能を実装しよう。あとあれとこれと…

それが終わったら日次の企画業務2種を前倒しにすること。

世の中にはハッキリと、おもしろい人とつまらない人がいて、それはどれだけ社会が変革しても残る最後の格差かもしれない。

然るべき場において評価されるという(これも)マッチングの問題ではあるとはいえ、いまこのわたしが生きている環境における「おもしろさ」を増進し、「つまらなさ」を抑制するゲームに取り組むことは「おもしろい」。

これは「徳」のゲームと重なる部分もあれば、ズレている部分もある。NG言動を回避して、固有の差異と詩心、そして余剰を運用していくことの中から、「おもしろさ」は展開していくのだと仮に措定しておこう。

まず余剰を獲得するためには、何かをこれから潤沢に蓄えようとするのではなくて、既に余らせているものの運用に対して、効果的な設備・環境投資を行うのがよい。ここが分からなかったり、分かっていても具体的に動けない人が大半だと思う(俺も割とそう)

ともかく、余剰を生み出すことができれば、次はそれを燃料にして「しなくていいこと」をする。何をするかで固有性を、その行動から得たフィードバックを抽象化することで詩心を、獲得していく。

裏を返せば、「おもしろさ」はもう、この程度で十分だとも思う。これ以上の「おもしろさ」のために何かを犠牲にしていく人たちもいるけれど、それはもう嗜好であったり、道を究めんとする人たちの世界だ。

では「つまらなさ」はどうか?こちらはまず、「つまらなさ」とは「おもしろさ」の不足ではない。というところから始めるのがよさそうだ。

そして「つまらなさ」は消えない。人間が生きているかぎり、その人は「つまらない」。

となれば、いかにそれを制御するか。キュッとたずなを引いて、余計にものを壊さないようにするといった種類の制御が肝要なのではないか。

体調不良時は人と関わるのを控えたり、自分スベッてるな?というセンサーが働いたら(例えばみんなで喋っているのに、自分の発言だけ一切のリアクションがないor奇妙な間を生み出してしまう)、あまり何も言わず聞き手に回ったり、イベントであれば無理のない範囲でお金を落とす役に切り替えたりする。

「おもしろさ」も、価値の一種でしかない。水かきのついた手で崖を登ることはできない。然るべき場面で然るべき運用ができない「おもしろさ」が「つまらなさ」であるとしたら、すぐに割り切って、別の価値を提供することに心血を注ぐのがよろしい。

38秒の短い曲の中に、演奏家たちの鬼テクニックが詰め込まれている。ドラムスとベースは誰だよ?!

さっきのつまらなさの話にも通じるけれど、どうやらこの社会に大勢住まう俺たちは、思った以上にキモくて弱い。

それをいかにして生存・繁栄させるか、という観点から形成されてきた社会規範は、今や有害な圧力として排斥されつつある。

すると、これまでは社会規範によってギリ生きてこれた人たちや、幸せになれた人たちが、かよわい力で生きていかなければいけなくなるわけだ。

単に振り子が逆側に触れているだけではないか?その分、社会規範に反発をもつ人たち、曖昧で定型に収まれない人たちの元気が増してくる。

しかし、定型の人たちと非定型の人たちには人数の差がかなりある。少数派に都合のいい荒野モードで生き延びることができるのは少数派である(同語反復)

それからまたしばらくして、新たな社会規範としての圧力が形成されるのだろう。その過渡期を生きていく上で、どうにか自分の仲間たちはハッピーにやり過ごせるように便宜を図っていきたい。というかそれくらいしかできん。

(カフェインなしでずいぶん長文が書けるな今日は)

評伝が発売されたことで、世のペソアファンたちが湧き上がっている。そして「意外とファンいるな!?」とお互いを見回しているのも楽しい。

本州からツアーに来たミュージシャンから「君はペソアを読みなさい」と言われて以来、10年以上触れているペソアだけど肝心の「不安の書」を読破できてないんだよな。どうなんだそれはよ

ポルトガル語もそうだけど、なにかを志して、それなりの成果というところまでたどり着いた試しがないんだよな。そうしているうちに不惑の年が近づいてしまい、しかたなく「それなり以下の成果」をいくつか組み合わせて生計を立てている。

側から見たらそれも「おもしろい」のかもしれないけど、胸を張れるような成果のない人生はやっぱり「つまらない」。でもそういう圧倒的な力のようなものに憧れる力もない以上は、姑息で巧妙な手段を駆使して、人並みに生きていければそれでいいのではある。

だからこそ余計なことをしていたい。義務と必要に迫られて行為している時にはない幻覚の霧にまみれていたい。眠りも浅いタイプなので、寝ても醒めてもそういうものに包まれていたい。

が、モクモク烟っていてばかりでは生活も子育てもできぬ。適度な運動と適量の食事、法事と手続き、仕事と交遊、そういった「つまらない」ことを、しかし適切に処理していくことができるかどうかは、多少は「おもしろい」

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