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でち読書 2023/01/06

某スラムで、まいにち読書の内容をnoteにまとめて共有する必要があり、本来であれば特定の図書の各章ごとのnote記事を作成したいところだが、それだけだとあんまり記事らしいボリュームになりそうにないので、その日に読んだ本の、その日に読んだ部分についての記事を日課としてまとめる方式としたい。

カント入門

かなり面白い。「アプリオリな総合判断」の意味がわかった気がする。

アプリオリ=生得的だと思っていたけど、どうやらカントにおいては違う。経験的と生得的の狭間に「経験からしか導き出すことができないが、しかし経験によって導き出せるということが、あらかじめ可能になっている」という絶妙なものがある。

序盤でアンチノミーの話があり、だから感性は信用ならない!という話ではなく、だから感性という経路しかありえないのだ。という理屈になっていく部分は、ちょっと踏ん張らないと振り落とされそうになる速度ではある。

想像の共同体

「ナショナリズム」って、ちょっと他のイズムとかよりも「宗教」とか「親族」とかの括りじゃない?という序を読んだ。

たしかに「国民」という言葉はあまりにもぼんやりとして、時にご都合主義的な集団として語られうるんだよな。

国民性と呼ばれるものも、風土と歴史の産物であり、その特徴が国家の切り取り線に重なっているだけであるような気もしてきた。

個人的な興味としては国家よりも、どんな共同体も想像の産物である以上、身近な集団・コミュニティの運用や、その成員としての立ち振舞いについて、得られるところがあればと思う。

布団の中から蜂起せよ

アナキズムやフェミニズムについては、自分はどうしても当事者にはなれないが、現代日本社会における「病人」「社会不適合者」としての筆致には共感しきりとなる。

破滅、個人が端的にダメになることは悪である、という社会の風潮が、社会そのものを貧窮させているという事実から目をつぶる時、非人間的な労働と関係性が正当化される。ある種その現場にいた人間としては、別の角度から著者の告発にも近い態度に賛同する。

著者が内面化した社会規範に対して、それを否定しきれないところに存在したままNoと叫ぶ気力もなく呻くことを執拗に繰り返す。その迫真が一滴も伝わらない人間がこの社会を回しているのだ。

だから社会をさらに停止させ、ジャイロ効果で安定していた部分も壊す。こうしたカタストロフィを想像することの快楽はあるが、そこはこらえて、多くの人には気付かれないよう、徐々に社会を書き換えていく方が自分には好みであるように思われる。明に暗に、著者が暴力を肯定し、既存の社会が破断炸裂するような悲劇的結末を望んでいるのだとしたら、別の経路を考えたい。

現に感染症で日本社会の前提は大きく書き換わったし、インターネットの強力な地場も、それが無かった時代に戻ることを難しくしている。ここまで劇的でなくてもいいのであれば、もっと自堕落で怠惰で、優柔不断なまま嗜虐を許さない態度というものを、それこそ「国民性」に伝播させることについて、個々人レベルで作用することが可能な余地があると思う。

エクリチュールと差異

べんけーさん主催の読書会で、収録の「限定経済と一般経済」について読む。某スラムの「遊び研究所」でバタイユかじっておいてよかった〜という感じ。

と、ここまで書いてzoomが始まったが、非常に面白かった…プロに相手してもらえるのってこんなに凄いものなのか。講師役のべんけーさんは明日学問バーkisiでバーテンに立つからみんな行こう!

ということで、次回開催までにヘーゲルを読んでおくこととなった。課題図書が増える〜(ニッコニコ)




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