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でち日報2023/07/17

離脱頭痛でノーシンを飲んだりしながら、買い物とジモティーの対応などで日中の時間は終わった。22時から3時まで断続的に寝たので、この時間に集中して仕事をする。

週末禁じていたSNS閲覧をまとめて済ませて15分くらいで終わった。また木曜日まで見ない。そのまま月末進行に入るので、今月はもうほとんど見ることはないだろう。

カフェインも含め、活動状態の負荷が高くなりすぎていた。負荷とはほとんどが感情的な消耗である。

スラムではどうやら「同意の上の加害(と表現できるコミュニケーション)」が話題になっているようだけど、たとえば「料理」というものはその点で言えばどの位置を占めるのだろう。ということを考えたりもする。

これは完全に「料理と利他」の影響で、元々自分で料理を作ることに抵抗がない人間であることも関わっている。今週末も甘くないデカいイチゴをジャムにして、間食用に紅白なますを作るなどしている。

しかし料理が加害になるかというと、自分の関心は逆で、「料理を伴わない食事」の権力性や祝祭的暴力みたいなものについて考えている。加害かどうかより、なんというか、料理を伴わない食事には、突き刺さる種類の興奮がまずあって、これは何に属するものなのか?ということ。

突き刺さる刺激(しかし鍼灸はそこに該当しない)は、その強度によって不快を麻痺させる役目をもっている。

これ抜きに現代社会を生きることができるのは、よっぽど訓練された、あるいはよっぽど恵まれた人間だけだろうけど、それで言えば、自分はよっぽど恵まれた人間であるにも関わらず、かつて恵まれていなかった頃の習性で、突き刺さる種類の刺激に依存している可能性がある。

旧いゲームのルールを捨てること。その切り替えを、ただし強いショックを与える方法以外の方法で行うこと。

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