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でち日報2023/07/24

昨日は開発をかなり進めたが、終わりまではいかなかったので、今日の午前で仕上げたい。昼から請求書の回収をするために、デカフェ日を明日にずらして朝からコーヒーを飲んでいる。

さらに飛び込みの仕事が入ってスケジュール感が狂ったので、ちょっとスラムに顔を出して精神を落ち着かせた。また木曜くらいまでは閲覧を控えて仕事に集中する。

仕事をすることの最大のコストは感情的な消耗であるということは明らかになっていて、それをどうやって緩和させるか?ということを考えている。

頭を使う時、それが自分の「いま」やりたいことでない以上は、制御に膨大な意志の力が必要になる。他にやることがなかったとしても、それは変わらない。

望ましい行為(ここでは仕事そのもの)を欲望する。という方向性をしばらく試していたが、これはむしろ逆で、感情面のケアとして、欲望する行為を行うことが、もはや仕事として求められている。

とはいえ、自分の興味関心を野放図にしておくのも良くなくて、SNSとビデオゲームについては、ほぼ物理的に封鎖することが、結果としてより望ましい欲望の発散(読書とか)につながるという側面もある。

当面は、仕事によって感情を消耗し、その分をSNSとゲーム以外でケアする。という一般的?なやり方でやっていくことになるが、もっと良い仕組みがありそうな気がする。「その時やりたいことではないにも関わらず、さほど消耗もしない仕事」というものもあるからだ。

おそらくそこに「自信」が関わっている。実際がどうなのかとは別に、見積もったコストが低いものであれば、消耗しない。

消耗しそうだと消耗し、消耗しなさそうだと消耗しない。ということは、消耗は、この予想のうちに発生している。

コストの見積もりを下げるためには、まあ難なくできるやろ、という一種の自信が必要になる。それはいっそ、仮初のものでも構わない。虚勢によって取り組み、不十分な結果を出し、それを後で補う方が、正確なコスト計算をして億劫になっているより何倍も良い。

カフェインもここに作用する。気分が昂れば予測も楽観的になる。では、気分の高まりに頼ることなく、結果としての自信だけを発生させることは可能か?

いや、冷静である以上、見積もりは正確に、あるいはもっと悲観的になるものだから、カフェインに頼らずに気分を高め続けることを考えた方がいいだろうか?そもそも、なぜ気分なるものに振り回されなくてはいけないのか。気に食わなくなってきた(これも気分である)

これを仕組みで解決するには?単純に抱える仕事量を減らすのでは、生計が成り立たない。コンテンツをストックして少額の不労所得を得るという路線を試して一定の成果は出ているが、それも労働量を半分以下にできる規模ではない。外注は効果的に作業量を減らせる手段だが、対価を用意するには結局生計を立てることと同じ問題が生じる。

単価を相場まで上げると、自分が仕事をすることの付加価値がない。まっとうな価格で請けるなら、まっとうな業者に頼んだ方がよろしい。

つまり理想はこうだ。相場より安い単価で請けた大量の仕事を、しかるべき対価をもって外注し、管理費をもって生計を立てる。うーん…

安く請けて高く頼むというところに破綻がある。これはスケールどうこうの問題ではない。

この勾配を両立させるために「余剰」を使うという構想はあった。余らせているエネルギーや技術であれば、もともと価値0円のものを、1円にできるだけでプラスである。が、厳密には人間の人生をその分消費している以上、最低価格というものが存在し、それはほとんど最低賃金の額である(であることが望ましい)

ここまで掘り下げてくると、どうして自分が社労士の資格勉強を(受験もしないのに)しているか、どうして自分が「価値論」なるクソ分厚い本を読まずにはいられないのか、という地層に関わってくる。

そしてそのお勉強に自らを向かわせるものも、気分に他ならない。では気分とは、無意識か?無意識に対する自信が、あると仮定すると、行為はどのように影響を受ける?



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