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おじさん小論文09−2−2 「学習について その2(動機について2)」

 昨晩夜ふかししたせいで、今朝は定例タスクの所要時間が、それぞれ倍になっている。考えもなかなかまとまらない。それでも、この小論文は朝のうちに投稿したい。 

 そんな「おじさん小論文」をやる動機について、昨日に引き続き解像度を上げていきたい。

動機3:文章がうまくなりたい⇨なぜ?

 月並みな表現だけど、これは大きい。ただ、誰にでも伝わる文章を作りたいというわけではない。「誰にでも」については、通じる日本語であればいい。

 文章がうまくないと、間違って何かが伝わってしまったり、伝えたくないものが伝わってしまう。そういう事故を起こさないようにしたいというのが、文章がうまくなりたい理由だ。事故が多発してしまうくらいなら、せめて何も伝わらない文章を作りたい。

 ここで言う「うまい」とは、自分の中の言葉ではないものを、いったん言葉を経由し、さらに言葉ではないものへ解凍する・してもらうプロセス全体に対する制御を指す(これも「うまい」文章ではないけれど)

 それは単語の選び方や言い回し、文章の構成などに対する技巧を高めたい(巧くなりたい)のとは違う。

 だから文章が巧くなるために、誰かの文章の書き取りや読み上げのような単純反復トレーニングをしたり、参考図書から学ぼうという気持ちはあんまり無い。他の小学生活動の副産物としての影響は、あってもいいだろうという程度だ。

 どうせ自分の表現を完全に制御することはできないし、完全に制御された文章を目指したいかというと、ちょっと違う。追求するのではなくて最低限、骨のあるものができれば満足だ。

動機4:新しい具体的な行動を作り出す頻度を上げたい⇨なぜ?

 これは完全に成功体験の積み重ねによる。「仕事は楽しいかね?」という本にあった「毎日何らかの変化を起こす」ということの自分なりの言い換えでもある。

 ここでいう変化というのは、気持ちの上での変化にとどまらない。外の世界に今までとは違う働きかけをして、反応を起こす明確な行動でなければいけない。

 この「新しい具体的な行動」という呼び方が気に入っている。あるいはこれをサッカーの「シュート」に例えるのも好きだ。シュートは外してしまったり、阻まれたりすることが多いけれど、シュートしなければ点は入らない。

 では点とは何だろう?それは自分の生活をより良くするきっかけだ。

 その例えでいうと、僕は今の点数では満足できていない。今の点数では勝てない(生きていけない)ので「勝ち負けにこだわらず、試合そのものを楽しもう」という境地には至っていない。

 この小論文も自分にとってのシュートであり、それが次のシュートにもつながることを期待している。これを習慣にすることで、いつぞやの日本代表ではないけれど、決定力や得点力のようなものをもっと身につけたいという、焦りにも似た気持ちが強い。

内発的動機まとめ

 昨日の投稿に続き、ここまで自分の内発的動機について掘り下げてみた。

 振り返ってみると、どうやら毎日こういった投稿をするということに「自分の生活をより良くできる(に違いない)」という価値を見出している節がある。

 では、それは本当に自分の生活を良くするのか?内面の充足にとどまらず、外との関わりの中で客観的な価値を生み出すのだろうか?ということについて、明日は外発的動機を掘り下げることで考えていきたい。

(本文46:45)


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