でち日報2023/06/11

なまじ平日動ける分、日曜はかえって外出する気も起きず、なんとなく一日が終わってしまった。これはまずいということで、また作業通話の力を借りて伝票整理の作業を終わらせた。

久々に読書もできた。國分功一郎「目的への抵抗」には、べんけーさんとの読書会でもチラッと話題にのぼったアガンベンのロックダウン批判について丁寧に論じられており、新書ということもあってか読みやすい。

GIVE&TAKEももうちょっとで読み終わる。贈与は俗世的な取引よりも大きな概念だけど、だからこそビジネスライクな領域をいったん区切って考えることの実利がある。「ギバーになりなさい」というのは表層的なメッセージに過ぎず、その裏にあるものは縮退のアイデアを使わないと見えてこない。

昨日の日報にも書いたようなことを、これから意識して展開していく先に、SNSでまた何事かを言うことができる状況があると思っている。主に仕事面における負い目のせいで、俺はまだ人にまともにきいてもらえるに値する発言をすることができない。

抱えている仕事の進捗を正常に保ち、予定していた学習を進めていく。それによって自然と発生する成果を持たずして、何事を偉そうに言うことができるだろうか?

いや、言えるには言えるのだけど、そうして言えることはだいたい全部言ってしまったというか、ここから先は、言葉だけでは取り回すことができない事態に突入する直観がある。

大人になること、おそらく心身ともに「冬の時代」が来るということ、フレデリックが詩人だっただけでなく、その穴ぐらの4匹のネズミたちが、仮に全員で一人の人間なのだったとしたら、そのうちの一匹が詩人であり、冬をどのように生きたかということが問題になってくる。越冬できたかどうかとは別に。

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