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暗号でしかものが言えない男

まだ帰路の途中だけど、なんとも恐ろしい旅が、ようやく終わろうとしている。

自宅から一歩も出ないで、この世の果てを覗くことになった。その崖は人の心の絶える場所にある。

つまらない道徳や、くだらない標語が、いったい何から何を守っているのかが分かった。人間が人間から剥がれる時、剥がれたままになった人間がいる時、口にもできないほど恐ろしいものが、それもとくに何の力も加えることなく、魂を吸い付くそうとする。水が低きに流れるように、命を吸い込む。

時代ごとに姿を変えて、そういったものが人間に近づいてくる。それに抗うためには、まず真剣に自らのうちに悪を携えること。つまり迫りくるものは悪ではない。それはもう全然、悪どころのレベルではない。

むしろ悪の心、悪い心を持たない人から先に吸われていく。人間の割れ目から覗いているものが、真空のように何の感情ももたずに人ひとりずつを滅ぼしにかかる。それは自然なことだから、いっそう容赦がない。

ヌルっと拒絶すること、傲慢な我が身をいつでも優先すること、手段は選ばないが、そうと気づかせない強かさを併せ持つこと。あるところから先の悪は、大いに善に近似する。その水準の悪の力で重力を振り切ること。

読む必要もない本を、それも読めもしない本をいくつか読んでおいて、本当によかった。暗黒球は目に見えず、周囲の天体の軌道から計算しなければ観測できない。それを幻視することができた。

天体を書き換えるほどの力を持たない以上、スイングして離れていくしかない。強い重力に接近したため時間が歪み、セオリー通りにしっかり年老いてしまったが、命あっての物種である。あとはただ余生を生きよう。

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