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おじさん小学生の読書メモ9回目

毎週土曜日はまとめて本を読む日ということにした。それで1時間読書に集中できたので良しとする。ていうか1時間だったら別に毎日でもよさそうなもんだな?

当初の予定ではカフェインを解禁するつもりだったが、昨日フライングしたことと、もしかして読書にカフェインいらないのでは?という仮説を立てて、実際その通りだった。

カフェインは久々に取ると命の危険を感じるくらい興奮するのだけど、努力が明後日の方向になったり、普段から苦しんでいる脱線、思考の奔逸がさらに加速してしまうので、「気が乗らないけどただひたすら手を動かしていると終わる」という種類の作業に向いている。

読書はそうではない。もっと瞑想に近い。薬に頼らずに向き合いたい。という気持ちになったのは自分の中でも大きな変化だと思う。

「スピノザの世界」を読みつつ「スピノザの方法」を読む。「方法」の序論が痺れるほどスリリングで、知り合いが一気に読んだというのも頷ける。國分功一郎さんは「方法」とか「責任」とか、普段私たちが何の疑問も持たずに使っている言葉を疑う人という印象がある。

やっとマルクスの入門書を読んだ。共産主義よりも、とにかく「所有」、とりわけ「不動産」についての古典がないか?ということでとりあえず手にとった。

あとは蔵書をサラサラと読む。10年前くらいに地元のブックオフで買った「昭和33年の世界文学全集近代詩人10人」は編集者が伊藤整だった。イエーツを読み終わる。この凄さを誰かと分かち合いたいが、分かち合える人がいたら、きっとその人とは話が合わないと思う(こちらが浅学すぎて)

「功利主義」はどうも頭に入ってこないけれど、それでも一番長い時間読んだ。頭に入ってくる程度の調整をしないというのが「雑に読む」に該当するのだろうか?「自由主義」も「ベンサム」も待っているので、負荷をかけずツラツラと読み、あまり覚えていない。

ただインターネット時代における自己と公共の利益ということについては少し考えた。今私達が済んでいるのは、実はミルの理想郷で、そこにはミルが想像できなかった問題が渦巻いているということなのではないかしら。

また新作ゲームを狂ったように遊んでいるのだけど、それと同じ興奮を読書から見出すことができないか?と思って今日は過ごした。1時間だけだけど成功したので、これを少しずつ延長していくこと、その結果として、このブログも毎日投稿できたらいいな~と思う。

というのも、読書のもたらす興奮において、アウトプットの占める割合が自分の場合無視できないからだ。こうして思い出せた分だけ適当なことを書くことの喜びなら、何度でも味わおうと思える。問題は頻度と量なんだよな~

先述の通りゲームしすぎて生活がガタガタになっており、やっとこの時間に脳が本調子になってきた気がする。この調子なら就寝までにもう1回読書の時間を設けることができるかもしれない。

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