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でち日報2023/12/23

今日から割りと大きめの新業務が始まった。最初の大変さを乗り切ればあとはリマインドとルーチンで回していけると思うので、費用以上にクライアントの負担を下げていけるよう、うまくやっていく

日中雑談通話をしている中で、自分が考えていることが整理されていく。人に向かって話している時が一番頭がいい気すらする。いくつかのトピックを、自分の視座で集約させることが、ある程度できたと思う

誰にでも見えるところで言えることは、どうしても暗号めいた言い方にならざるを得ない。そうしないと、意図せぬ相手の神経を逆撫でたり、不必要に傷つけることがある

自分もそうありたいぞ

まあこれくらいの文章であれば負担感は許容範囲かなと。あとで引き合いに出せるようなドキュメントのうち、個人的なものについては今のNotion→Scrapbox→でち文書のルートで良い感じになっている

これについては、また改めて記事を書こうと思う。せっかくなら残りの2つ(試験勉強の習慣化とビデオゲーム廃止)も達成したい気持ちになってくる


謎の力

努力だ才能だという話より、だらしなく生きてきた自分がどうして、不相応だと思うような、すごい人達と関わっていられるのだろうということを考えている

若い頃に何かしらの成果を出すことも、特別何かに秀でたり詳しいわけでもない人間が、いまこうしていられることを、調子に乗らず卑下もせず、冷静に分析したい気持ちがある

なぜかというと、そこには才能や能力、努力や運というありきたりな要素ではないものが紛れているように思えてならないからだ。それは何と呼ぶのが一番近い…?「セオリー」でもあれば「こらえ」でもあり、「気位」でも「諦念」でもあり、「入身」でもあれば、「祈り」でもあるような

その謎の力に、出自やハンデや不運などの妨害を、巧妙にすり抜けていく機能があるのなら、再現性を発揮するところまでいって、初めて十全な力の発揮であると言える


野蛮さを使う

いったんツイートしたけれど、微妙に誰にでも見えるところに置いておきたくないなと思って消した内容。こうやって距離感を調節できることは良い

理性的なあり方の手前にあるものを、理性を「まくる」ために使う。理性をある範疇における言語のことだと言い換えてもいい(たぶん)

むずかしいことがよくわからない人たちを、野蛮だ怖いと遠ざけるだけではなくて、その野蛮さにこそある道理を地層から掘り起こす・汲み上げる。

これもまた理性の働きであるべきだし、あらゆる理性が、果てしない過去からやってきた不気味にぶよぶよした化け物、に取り憑いた亡霊である以上、この相互作用の通りをよくすることは、すなわち取り憑かれた怪物である我々を、多少さわやかで朗らかにしてくれるように思える


最後の方の内容は拾わなかったんだな

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