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でち日報2023/06/14

日中はずっとでちお君の子守りなのだけど、昨日はデカい小上がり(「小」かそれは?)のあるお店に移動して、転がしておきながらJavaScriptの参考書をやっと読み進めることができた。

入門書にしては重い&カタいのだが、これくらい真面目なところから学び直した方がいい気もしているので、とにかく読めるだけの時間と気力を確保できりゃいいのだ。

GIVE&TAKEほぼ読了。贈与の関連書籍を読み漁っている身としては、ビジネスライクな捉え方ってどうなの?という気持ちで読み始めたが、かなり実りがあった。それは大枠で贈与・蕩尽・縮退という考え方を自分の中で持っていたからなのか?

自分はあきらかにギバーに分類されるが、なかなか下手くそなギバーだった。その下手さ(見返りの求めなさ・非合理性)の使い道というのも実は大いにあるのだが、この辺のやりようを調整する余地はある。

さて、一ヶ月すこしの期間をおいて、Twitterとスラムへの投稿を再開する運びとなった。相変わらず、SNSの即時的なやり取りと相性が悪いし、前回の開発関連業務で派手にスベった(自分が1ヶ月頑張って作ったものが余裕でプラグインとして実装されてたので無駄になった)手前、非常にバツが悪いのだけど、

どうも「社会が想定した形で就労・参画することに難しさがある若い人」の話を聞く機会が多い構図がある。それはとりもなおさず、俺がそうだったからという側面もあるのだろう。

そういった、いわば同胞にクソバイスをするのではなく、「実際に仕事をつくって任せる」ということを、再び試みる。さらに、それを王の器じゃない人間として実現する方法論を見つける。

卑下や謙遜を抜きにすると、俺は自分の力を制御するだけの知性に代替する謎の何かを、割ともっている方だとは思う。問題点は、制御しようとする力の絶対量が乏しいことだ。

ここで言う「力」とは何か?「やろうと思ったことができること」だと仮定しよう。

そして知性やそれに準ずるものは、その力に対して「そもそもやるべきか?」とか「やるなら具体的に、どのようにやるか?」と緻密に問うものである。

ということで、しょぼいハロワとはまた別のアプローチで仕事を作ろうとすると、とたんに俺の中の「知性を代替する謎の何か」は、こうささやく「お前が自分の頭で考えても、たかが知れている。『開かれておくこと』を使え」

ということで、恥を忍んでまたSNSへ舞い戻ってきたわけであります。



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