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でち日報2023/10/17

サボった分を消化していくぞ

このあと自分のchatGPTアカウントでもDALL-E 3が実装された

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リスク管理はそのままバッファ(余裕)を作ることと直結している

余裕はある目的に対して測るもので、余剰はただそこにあってまだ使い道が決まってないもの、だな

やっぱ同じようなことを考える人はいる

時代だね〜というか、全ての子供向けコンテンツはその時代の大人が考えて作っているのである

古楽しか聞きたくなくなる時があり、思えばこの時点で不調が始まっていたのかもしれず

「明け」は結局、頭の片付けから始めざるを得ない

そのルール自体を崩す人もいるけど、俺はスタンダードルールでいきます

これまんま「順列都市」だった

映画だと2時間割かないといけないところ、小説だと無理ないところまで読めばいいので助かる

現実で負けが込んでいる時は、いったん相対化するためにフィクションを使うと感情的なケアになる

これは確か「『こども』を済ませておけなかった大人はどうしたらいいか?」という通話をした中で出てきた感想だったと思う

もっとスマートにできなかっただろうか

抽象的なことばっかり言っていたので具象に帰る

もうかなりの部分が「いかに余剰を再生産するか」でしか無いのでは?という気持ちが強くなってきている

ただ、そこにはもう一段階先がある気もする

「余剰がある」という表現もフェイクというか、仮性なのではないか。まず人間がいる。あるいは物体が、空間がある。「ある」ということは「余る」に先立つ(あたりまえ)

うれしいので他の言語もがんばるぞ

先達の手を煩わせたくないときにchatGPTは非常に役に立つ

今度は「午前中の事務所」以外で過ごす時間をいかに活用するかという問いが生じている

Evernoteの整理の欄で、Evernoteに逆輸入する用のブレストをする

乏しい資源の奪い合いは、精錬の難しい資源への投資サイクルが止まったことによって生じる

再び投資サイクルを回すには、見込みがなく周りに迷惑な、蕩尽による着火が必要である

比較的余剰がまだある人間(有徳人)が蕩尽=供犠によって、モノに貶められたリソースに、ロゴス外のエネルギーを再充填する

そこまではわかるというか、別に改めて文字に起こすまでもない

問題は、それをどうやって具体的に持続可能にしていけるのか?ということでありまして

俺の頭で何かを考えることは、そこで完結しない(そこだけで行動・判断しない)まま、開かれてあることに適している。閉じる・収束させるだけの知性がないことを認める

勝っても負けても、プレイしているということに価値は宿る(当然ゲームの範囲内だが、そこで生まれる価値の源泉として)

だからものを考えているように見えて、庭先でぼーっとしているのと大差ない

ここからは別件

「正直さ・素直さ・誠実さ」は、ただあるものを損ねることなく通過させるために用いる。言われたことを無言でやり、指摘されたことを無言で正す。そういう関係性への賭け・跳躍を自ら選ぶ

ただしその関係を取り結ぶ重さに耐えられる対象は、他なる個人や集団ではありえない。だから「神宿る」に、結果的になってしまう

わかっていてやるのと、わからないままやるのは、効果が等しい場合が多い。わかっていてやらないのであれば、わからないままやるほうがよい(ということをわからないままやれるために必要なものは、やはり余剰である)

日報というフォーマットでブレストするのは、ベストではないな〜今日はここでおわり

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