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でち日報2023/03/06

どこかソワソワして、モヤモヤして、気に食わない気持ちがある(単に確定申告が終わってないからだよ!)

真の自由の感覚は、仕事の前倒しを常とするところにしかないのかもしれない。

メタ欲望の次は、メタ作業興奮ということで、うまく意思とやる気のピントが合わなくなったら、紙になにかを書き付ける。アナログでやるのが大事(だとオースティン・クレオンは言っていた)

どうすればよいか、俺が(しかし「俺」というのはなんて便利なんだろう。男性だけズルいと思う)一人で考えて出る答えで解決するはずはなく、脳の外で考えて、現実世界の変数の絨毯にダイブする方がよっぽど速い。

贈与そのものについてのテキストを作るということについて、もし新規性を持てる部分があるとしたら、建前と外宇宙の中間領域について簡単に述べることだと思う。

模倣のうち、とくに動きや勢い(モメンタム)を模倣するもの、古代神話的共時態世界への突入を可能とする演劇としての、晴天の贈与の霹靂。これが他のどちらでもないということを、言い当てたテキストや作品をまだ見ていないし、それがあるならあるで万々歳だ。

あっ、作品で言うとシルヴァン・ショメ「イリュージョニスト」がその一側面について言及していて、それで十分っちゃ十分かもしれないな…

いやまあでも、なんか、そういうことをやりたいんすよ。まとまったテキストを作って自分で眺めてみたい。そしてどうせ、そこに至る過程のほうが多分重要で、重要というのは有用性についてのことなので、位は低いが、でもやっぱり副産物として、誰かが困っている時にそれを楽勝で肩代わりしたいんですよ。

困っている人と、そんなんいくらでもできますよ、という人の、あいだに発生する利鞘で生きていきたい。が、その提供できるスキル(ス、スキル…)を絶妙にマッチングさせるにはどうしたらいいか。分かっているようで分かっていないし、分かったところで制御不能でもある。

という仕組みとは別に、劣等感や無力感をほんの少し慰めてくれるような、小さな達成をしていきたい。中間生産物をどういうものと設定したらいいのだろう。仮の目次に対して2000字とか決めて書いてみたらいいか。どうせいったん全ボツにするし。

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