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でち日報2023/09/13
昨日は大きいタスクを片付けることができたし、開発もけっこう進んだので嬉しい。月末進行が始まるまで、まだ期間があり、ここで新しいことを追加するのではなく、溜まっている作業を終わらせる
映画みたいに90分ずっと一冊決めて読む訓練をしたほうがいいのかもな
— でち (@dechi_sub) September 11, 2023
最初は15分のタイマーセットでやってみよう
ビデオゲームするより「ビデオゲームしないで過ごすorとっとと寝れるか」というゲームの方が興奮するようになってきた。加齢?
— でち (@dechi_sub) September 11, 2023
現実で得点を稼いだほうがいいし、なんならその方が勝ち目あるもんな
ピルクル、ブルガリア無添加、伊藤園青汁、常備すべきかもしれない
— でち (@dechi_sub) September 12, 2023
今日また買ってくること。特に入眠時の腹痛がなくなるのがすごい
夜泣きで起こされたのでミルクを作ったらまた寝た😂
— でち (@dechi_sub) September 12, 2023
で5時にしっかり起きた。リズム狂ってる?
一人で全部やろうとしない限りなら、リソースが奪われすぎることを心配しなくてもいいわけだ
— でち (@dechi_sub) September 12, 2023
昨日ためしに「福祉」についての議論をスラム民に吹っ掛けたところ、主にリソースの有限性についての示唆を受けた
①まったく救いの手を差し伸べない人よりも、あるところまで助けて、あるところから助けてくれない人の方が残酷であるように思える
②実際に他人へ援助すると、自分のリソースが食われすぎてしまうのではないか
③環境への投資は、それが唯一普遍な環境でなければ効果が薄いのではないか
①と②は個人の担えるリソースには、十分には程遠い上限があるということを指している。
これについては、あらかじめ提供される援助が有限であるということへの合意形成と、その前段階として、自分で消費しきれない程度には余剰を確保することで対応できる。裏を返せば、この2つが揃わない限りは、他人に援助できなくてもよい(その前にやることがある)
問題は③だ。これは確かにそうで…だから…代替可能な小環境への投資が、そのまま唯一無二の大環境への投資でもあるよね?みたいな、やや詭弁な答えしか返せない。
上記の回答を考えていくなかで、この環境全体への投資としての福祉を、孤軍奮闘ではなく、複数人で行う状況が望ましいということも思った。
実際スラムは新人オリエンテーションなど、そういった体制が実現されている方の集団だけど、さらに余剰を運用できる人間が増えていけば、ゲームチェンジに対する防御としての多様性を維持しつつ、内発的な富の効果的な発揮を通じて、広義の外貨が流入する構造を強めることができる(そしてそれは小環境として、社会という大環境に作用する)
他人の投稿、誰がRTしてて誰がいいねしているかを確認できなくなっている…これけっこう大きい変化な気がするけど、特に騒ぎになっていないと思ったら、PCだけの仕様変更か
— でち (@dechi_sub) September 12, 2023
まあいいかなと思ったけど、引用を参照できないのは不便だな
朝のコーヒーを飲もう
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