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でち日報2023/09/22
調子は上がらず、また来年という感じで月末進行へ
「どうやるか」はまだしも「何をやるか」についての戦略的判断を自分でやれる脳を持ち合わせていないんだよな
— でち (@dechi_sub) September 20, 2023
だから何をしても無駄で空振りするという前提で行動していく。期待しない
価値が分節化された「体験の形容」だとしたら、それは理解することとどのように違う?
— でち (@dechi_sub) September 20, 2023
別に分節化されてない価値もあるか。理解(分節化)されないまま、直観される価値もある
— でち (@dechi_sub) September 20, 2023
ということは体験的価値が経済の領域にまで溢れうるという横溢モデルじゃなくて、ある運動がおさまると、体験と経済に分離するという油膜モデル?で考えたほうがいいのかもしれない。俺は朝から何を言っているんだ
— でち (@dechi_sub) September 20, 2023
『「覚える」と「わかる」』を読んで考えていたこと。ひとつは読書にせよなんにせよ、内容をまとめてアウトプットすることは、理解そのものに肉薄している(だからもっとやろう)と思ったこと
もう一つは、溢れるまで体験的価値を提供しようとすることの現実的な限界を、「ある運動」が停止したあとの価値として提供するのであれば突破できるという感覚が生じたこと。これはまだ自分で何を言っているかいまいち「わかっていない」
"知覚においては、物事の具体的な内容が意識に現れるのにたいし、直観では、抽象的な内容しか現れない。"
— でち (@dechi_sub) September 21, 2023
そんなことないしょ。突如として具体的なイメージが意識に現れる種類の直観あるでしょ…あるよね?
とつぜん脈絡なく「歯が麻雀の牌くらいデカくて、グラサンをかけた男の顔」が脳裏に浮かんだりしない?しないですか、そうですか…
「余裕・余剰」と呼んでしまうと、そんなものあったら苦労しないッスよと卑下してしまうが
— でち (@dechi_sub) September 21, 2023
「うまく活かせずに腐らせてるもの」と呼ぶと、心当たりがけっこうある
これについて昨日の夜整理していた。具体的な新規行動が定まったので、今日からそれをやっていく
パルム安納芋を発見
— でち (@dechi_sub) September 21, 2023
噂に違わぬおいしさ
北海道が牙を剥く季節になってきました pic.twitter.com/2HrdZutmVk
— でち (@dechi_sub) September 21, 2023
送料無料ありがたい。去年はこういうギフト制度を使わずに力技で配送したので結構たいへんだった
授乳起こされ。珍しく夢見がよくて頭が冴えている
— でち (@dechi_sub) September 21, 2023
ちょうどいい気温の低さを、無意識下では「笑い(くすぐったさ)」と区別できないらしい
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