状況からしか推測できない でち日報2023/08/10
昨日はデカフェ・オフということで、仕事は最小限にした。午後から珍しく人に会い、ミニトマトをもらったので夕食時に湯むきしてカンタン酢に漬けた。
日報に書くこと思いつかない時はたいていツイートを引用すればいい。今のところ、これが自分に合ったスタイルだな。
いない人の悪口を言っているのを聞いているとき、その内容の正当性とかよりも、どういう表現を採用しているかの方に興味がある。
悪口に限らず、その人の言葉づかいというものに、魂(ここでは分析不可能な密度と量の複雑さを指す)が宿ると思っていて、
定期的にそういうものを摂取する必要がある。人間の言葉づかいを目と耳の中間部分から吸い込む。
「縮退/コラプサー化」のアイデアは本当に良くて、たとえばツイッターの収益化によって、やがては極端に非人間的なアカウント運用が最適解として大半を占めることなどは、なんとなくはイメージできるけど、その構造をパッと言語化できるのは、なんだかすごく気が楽になる。
あ〜カフェインが効いてきた
そうした、ほとんど自然の力、重力みたいな力に対して、ヒマラヤのミジンコみたいに抗って上に泳いでいくこと(ヒマラヤが海底だったころから住んでいるので上に泳がないと流れていってしまうミジンコ)
何はなくともインプレッションが大事という重力に対して、そればかりではないということを、強靭な足で立ち上がってみせるのではなくて、胞子として浮き上がること。天井の角っこからカビてみせること。
案外「繰り返している気がしない」という境地なのかもしれず。
というのも、昨日はスラムでも努力についての話をしていたけれど、自分はまったく努力せず、まったく訓練や鍛錬をせずに生きてきたにしては…妙に状況が良すぎるんだよな。
だから忘れたり気づいてないだけで、何か必要なことを多少はやっているのかもしれない?こういうことが本当に多い。自分についての感覚がアホだ。
これも自分についての感覚がアホであることが原因である。自分が感じているのが、怒りなのか落胆なのか、単なる疲労なのかが全然わからない。
だから状況から逆算するしかない。こういった事実がある・ない、だから自分のこの感覚は〇〇である。とする。
その点カフェインはいいですよね。原因と影響がハッキリしている。あとはいかにオフの日を作っても大丈夫な仕事の状況を維持するかなのだけど、月末はまあ仕方ない。
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結論からしゃべることを忘れていたので、遮られて話す事ができなかった話をここに書いておこう。映画「パターソン」の感想
おそらく監督も意図しているわけではない解釈があって、それは「詩心こそが不幸を回避する」ということだった。ツイートもしておこうかな
いやある意味でネタバレだからここに留めよう
いやせっかくだし別記事にしよう
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でも今日は仕事が忙しい日なのだった。10日の振り込み業務と在庫システムの本番環境移行(やっと!)この二つをカフェインの力でクリアする。
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