見出し画像

律儀に滅ばなくてもよい でち日報2023/09/11

しまったツイートを拾う日報スタイルは、不調でツイートが少ないと内容が薄くなる!

これと

これしかない

今日は午前中のうちに開発業務で入力フォームと転記先スプシの接続をちょっとやって、振込作業。午後から打ち合わせをして終わり。デカフェ明けは5時には起きれないことがわかった。カフェインが抜けているとこうなる

仕事の関係で自分のポートフォリオを提出する必要があったため、できることを書き出したところ、あまりに少なくて笑ってしまった。「できます!(これから勉強すれば)」というフカしを抜きにすると、GASでリモート事務効率化ができるのと、BASEでショップ開設ができるよってだけだった。

それで家族を養っている以上、能力と気力がほとんどない人間としては、そのどちらでもない力ならある、ということを認めざるを得ない。

だけど誰でも、その3つ目の力があればこそではないのか?つまり能力でも気力体力でもない謎のパラメータを、どのように自覚して運用するかじゃないの?

えーと「能力」という括りがデカすぎるな。ここで言わんとしているのは実行能力のことで、それ以外の能力を「第3の力」と言っているわけだから

①実行能力
②気力体力
③それ以外の能力

こうですね。あ、するとこれは

①経験的or先天的な実行力
②利用可能なリソース
③それ以外

と言い換えることもできそうだ。実行力でもリソースでもないものとは?

知識はリソースだし、慣習は(弱い)実行力であると言える。そしたらもう「妄想」とか「我執」とかになっちゃうか

ということは、自分については能力とリソースがないのではなくて、能力とリソースが「ある種類に偏っている」という表現をしたほうが正確そう

「カフェインが効きやすいこととその自覚」は③なのか?いや、自己認識もまた、リソースとしての知識に該当するとしよう。

そうなってくると、リソース(資源)というものが、量的に増減するものに限らないという話になってくる。くぼんだ湾はあからさまに増減するものではないが、漁獲をもたらす環境資源である。

資源 ( しげん ) は、人間の生活や産業等の諸活動の為に利用可能なものをいう。

まあそうか

はいはい、そうなってくると、自分を卑下しづらくなってくるな。俺が個体としての能力値が低い(あるいは偏っている)のだとしても、それを法外に恵まれた環境リソースによって補って生きているタイプだということが言える。

さらにこの環境リソースへのメンテナンスに特化することで、自分自身の能力ではなく、自分の環境の効果を最大化しているのではないか?これなら「何もできない割には人生がうまくいっている」の説明がつく

言うたらこれは、個体値が異常に低いテイマータイプであると言える。もちろん使役しているのは他人とかの別個体じゃなくて、概念とかフレームワーク、つ、つまり…精霊めいたものたちだと、言えないことはない(が40歳手前でこの表現はこっ恥ずかしい)

でもこのデザインなら、「何をしてもダメ」という自己認識と「なんかうまくいってる」という現状評価を両立させることができる。

そしてこの考え方が、副産物的にもうひとつの問題を解決する!さあ!カフェインが効いてきたぞ〜!(仕事に使えよ)

自分自身の個体値が強いタイプと、環境値が強いタイプとがいる。という話になると、すぐに「じゃあ両方ない人はどうするの?死ねってこと?」という問いがポップアップする

これに対して、どのような個体にとっても、(一応として)自己と区別できるもの、他なるものを環境と呼び、強個体も弱個体も、相互作用しメンテが必要な環境資源とみなすならば、個体値も環境値もない個体もメンテナンス(干渉・保護)の対象に含まれる。

これが概念的な「福祉」なのではないか?さらに強者との相互関係、その仲裁も環境整備としてなされるならば、一方的な弱者救済の表現である福祉の枠を超えたアプローチが立ち上がってくる。

そして繰り返しになるが、このようなアプローチは、個体としての実行能力からも、個体としてのリソース量からも制約を受けづらい。それが環境型の「勝ち目」であり、動機づけにもなっていくわけだ

たとえばスラムの天上人たちは「福祉をやらない」と公言しており、それは驕りなどではなく、単に強者としての立場を全うしているということになる。

福祉あるいは救済ということは、ものごとの一側面でしかない。環境はそのように一方的に作用しない。そして、このようなことは強者の誰もが理解していることではない。理解できることでもない(しなくてもよいので)

強者・弱者ということも、ある尺度においてであるし、変動しまくる。しかし「環境」は常にそこにある。自他の境界については、もうちょっとちゃんと考えないといけない気がするけれど、ともかく、個体と環境の相互作用としてとらえると、自分に卑屈になることなく失敗を防ぎ、他人に嫉妬を抱くことなく評価することができる。

自分の道が決まった。個体としての能力値を上げようとするのではなく、環境に働きかける。そのためのカードが贈与・儀礼・徳概念・脱構築などと、揃いつつあるではないか



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?