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【詩】ただの考え

東京から離れて思うことは、東京は本当によくできた欲望を増幅させるアンプみたいな街だということです。歩いていて、広告が目に入らないことってないんですよね。

そして私は今やバスも1時間に1本くるかどうかという田舎。
広告らしいものは目に入りません。
インターネットに繰り出せばそりゃ色々ありますが、少なくともオフラインの世界には欲望を刺激させるような刺激物はないです。

あるのはデイケアサービスと保育園ですからね。
それとたまーに自動販売機がある程度。
ある意味「自分が本当に人生に望むものはなにか」ということを考えるにあたってうってつけの場所なのかもしれません。

引っ越しする前までは、毎日notionに1時間単位で「自分は何を今日やったのか」記録していたんですよ。いつかなにかの役に立つか、未来の自分がこれを参考にして生きる糧にしてくれるだろう的な考えで。

ここのnoteもそうですよね。
毎日更新といって、離れることはありますがまあまあ戻ってくることが多かったです。

でも今は色々満たされたという感覚があるせいか、ここに何かを投入しようという気概がなくなっていることに気付きました。これもきっと欲望が増幅されたからやっていたことなのかなと思います。

実家に帰ると暇になる。
確かにそうです。僕ぐらい暇な40代は少ない気がします。
というか来月からクソ忙しくなることは確定しているのでまさに今この瞬間暇というだけなんだよなということも痛感しています。

暇なときにしかできないことをしよう、って気持ちにもなりますが東京が遠くなると割りとどうでもよくなっていくんですよね。人が壊れたら3ヶ月ぐらい生活に心配が無いような状態にして、ぼーっと暮らすのも良いと思います。

実家に帰ると暇、というのは一面では確かにそうなのですが、家族に話しかけられると話し込んでしまうこともあるので意外と時間が無くなったりします。また、老夫婦は寝る時間が22:30ぐらいなので僕も0時には寝るという状況が続いています。

酒もやらず、タバコもせず、賭け事もせず、メルカリで売れたらコンビニまで出品しに行って帰りにアイスコーヒー飲んで帰る毎日です。

外出は歩きとバス。それと両親か姉に車に乗せてもらう感じで、僕自身は運転もしてないと。というか運転する意味あるんかなという感じ。田舎はどこまで行っても田舎ですからね。

ただこういう生活も家族が健在だからできるわけで、いなくなった時の居住を考えると今からシェアハウス的なものに慣れておいたほうがいいのかなと思ってしまいます。

というかむしろ共同生活に耐えられるのか怪しいのでテストするという感じですかね。そしてそれは早い方がいいと脳が告げています。


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