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歴史的カネ遣い

新聞を読んでいると、「歴史的カネ遣い」という文言が目に入った。昔の人のお金の使い方は、なにかポイントがあるのだろうかと興味津々で字面を追った。どうも様子が変だ。日本語の使い方のこと、そう、「歴史的カナ遣い」のことだった。

「歴史的カナ使い」といえば丸谷才一さん。このカナ遣いで書かれた小説やエッセイはとっつきにくかった。「おもふ」「ゐる」「でせう」など、カナよみと音がちがうし文字も見慣れない。うんちくを重ねる丸谷さんの文の「顔」としてぴったりとはまってしまうと感じてくるから不思議なものだ。

さて、「歴史的カネ使い」についてのわたしの考察。

「カネ」を意識したのは小学低学年のころだったろうか。5円玉をもたせてもらって近所の駄菓子屋に走った。「当たりモノ」そう、当たりくじ付きのお菓子が目当てだ。当たればもうひとつもらえたように記憶している。穴の開いた硬貨が唯一の「カネ」で、それがお菓子と交換してくれるものだと刷り込まれた。

5円以外は「カネ」は知らない。運動靴を買うにも、自転車のパンク修理をするにも、お金は必要なかった。「ツケ払い」なのだ。ひとりでお店に行っても、「○○ちゃんね」と身元がわかっている。欲しいものを選んで、もらって帰るだけ。金額も知らない。

田舎の町では大人も現金を持ち歩く必要はない。地元の商店街はみんな顔見知りで、支払いは月末、長いのは盆暮れの半年払いだ。行商に来る魚屋さんは大福帳のようなノートに品物をツケるだけ。あとで金額を計算して帳尻をあわせるのだろうか。

毎日のことだし、逃げも隠れもしない。サラリーマンは少なく、ほとんどの人が自営業や農業で生計をたてている。日銭は稼げない人たち相手には「ツケ」売りが合理的だったのだろう。

クレジットカードも月末締め、リボ払いなどというのもある。「ツケ払い」と似たようなものだ。「歴史的カネ使い」と「現代カネ使い」はさほど変わらない。