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記憶は目に残す、写真を撮っただけでは残らない

「この写真、何を撮ったのだっけ?」
自分で撮った写真が思い出せないのだ。タイムスタンプがある。見ると一昨日のお昼前、電車の座席らしきもの、開いたドアの向こうに駅ホームが見える。

カメラアプリ「Dispo」、不便なのが特徴らしい。ファインダーは小さくて見えにくいし、何といっても撮った写真がすぐに見れない。現像中の表示がでて、翌日の朝9時までかかるという。あの写真は、このアプリで試したものだった。

スマホカメラが離せなくなって、何でもかんでも写真を撮っておくクセがついてしまった。うまく写ってなければ撮り直す、その結果、たくさんの写真が残る。

現物、被写体の記憶を目に直接残すのじゃなく、カメラにゆだねている。撮った写真をその場で見て、それを覚えているようなのだ。しかも、写真を残せば安心とばかり、現物をよく見ていない。

たしかに、目よりはカメラの方が正確に情報が残せる。文字や形、模様など図画的なものはカメラの方がいいでしょう。でも、おどろき、気づき、インパクトのある印象、感情などの対象物は目に残したい。

目に残す。
そうしないと、おどろきや思いの感情をひきだした現実のモノ、それをきちんととらえ損ねてしまうのではないかと気がついた。

目の記憶をつたえるのは、「ことば」でありたい。わたしの写真は目の記憶をつたえる補助につかう。
だから、「一写入魂」、道具は「Dispo」。
しばらく使ってみます。