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ああしろ、こうしろと言いながら、自分が言われるとうるさい?

ここ数年間はコロナ禍で出張は激減し、在宅勤務が増えた。出社するときは朝5時過ぎに家を出て、夕方7時か8時に家に帰る、このパターンが続いた。家に居るということは、家人と顔を合わせることが多いということ。その「行動」が、家人の目障りになる。最近エスカレートしている感じがするのだ。

先輩のHさんもそのようだ。非常勤で会社の顧問をしているが、コロナの時はお呼びが全くなく、ずっと家にいた。「仕事しなくても給料がもらえるのだからいいじゃない」と言うと、「そんなもんじゃない」と反論された。

「朝8時30分までは居間に来ないこと」。のこのこ起きだし、ウロウロして、「朝飯はまだか?」とか、「新聞は?」とかが奥さんにとってはウザイ。NHK朝ドラが終わるまでは顔を見せるなとルールを決められた。
テニス、ゴルフの練習、買い物、お友だちとの会合など奥さんはクルマに乗る機会が多い。家に居るからふたりで出かけることもある、Hさんが運転するが、ナビゲーションは助手席だ。「この道じゃない」「混んでるから左に曲がらないと」とナビ通りでないとお小言が来る。アッシー君のストレス解消に、飲み会のお誘いがかかる。

ウチの場合はこうだ。

コロナ以降、帰宅後はすぐに手を洗い、着ているものを脱いで洗濯機に放り込むのが済まないと、家の中の「モノ」に触れてはいけない。トイレに行きたくてドアを開けようとすると「手洗い!」、暑いので冷蔵庫を開けようとしたら、すぐに「手洗い!」と声がとんでくる。

スーパーの食品トレイをプラゴミに捨てようとしたら「汚れているから燃えるゴミ!」。トイレの換気扇カバーを交換してゴミ箱に入れようとしたら、「そう、不織布はプラゴミじゃない」。行動が監視されている、信用されてない。

クルマを運転していていると、「車間距離が開きすぎ」「アブナイ!歩道に子ども(見えているんだけど)」「曲がっている(駐車場の区切り線内だからいいじゃない)」と小うるさい。目や耳から入った情報で反射的に口が開く。脳が判断して、ここは行動をスルーする(言わない)ということが出来なくなるのじゃないかと思うのだ。「だったら自分で運転すれば」と喉元まで出かかるが、出ると倍返しどころじゃなくなる。

「ああしろ、こうしろと言いながら、自分が言われると『うるさい。俺だってちゃんと考えているんだ』(指図分裂症)」(「すごいトシヨリBOOK」:池内紀)。

当たっている、Hさんもわたしも。プラス、奥さんたちも?