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ひっつき虫

田舎の家、誰も住まなくなって10年近くになる。これからも住むことはあるまいと、3年ほど前から売りに出したのだが案の定さっぱり。更地にしないとだめなのか、それでも売れなかったら持ち出しか?と思っていたとき、ようやく買い手がついた。

暑さがまだ残る9月、草ぼうぼうで伸び放題の枝をかき分け、中にはいった。持ち帰ってもまたお蔵入りになりそうなものは、勇断をもってあきらめた。そう、家はそのまま有り姿で買ってくれ、家財一切、まとめて処分してくれることになっている。

それでも片付けにのべ3日ほどかかった。これで、この家の火事の心配もしなくて済むし、税金もはらわずに済む。そういえば、自治会費も納めていたからご挨拶しておかなければ。やれやれ、すっきりしました。

これでこことも縁がなくなるんですね。お寺にお墓はあるけれど、来年お盆にお参りしても、もうここには立ち寄れない。そう思うとやはりちょっぴり寂しさを禁じえない。

「親の家がなくなる」という北川悦吏子さんのエッセイが新聞にありました。田舎の家を処分しに行ったとき、家の庭草の「ひっつき虫」がスカートに一面について難儀した。「(後日)スカートをクリーニングに出そうとして、3つか4つ、まだついているひっつき虫に気がついた。(そのスカートをみつめて)そして、あの家が壊された跡地は未だに見に行っていない。見る勇気がない。」

わたしもです。家はなくなっても、「ひっつき虫」のように、心の中に「家」の思い出がくっついているのです。