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オホーツクに消えた

あの知床遊覧船の痛ましい事故から4か月、ハマナスの赤い花が献花のように咲いているにちがいありません。あの「知床旅情」のわたしの原風景はオホーツクに消えました。

KAZU1よりもう少し大きかったように記憶しています。何年か前、ウトロ港から乗船、半島沿いに沖合を北上した。ヒグマが何頭か岩場を歩いているのを遠目で見、そして定置網を避けてとおる航路の先には番屋があった。その先のカシュニ滝を間近で見たあと、岬の先端に向かった。

わたしがもっていたこの歌の原風景は、漁港、番屋、別れ、クナシリです。森繁さんのあと、加藤登紀子さんがリメークした。

「飲んで騒いで 丘にのぼれば
 はるかクナシリに 白夜は明ける」

船から見えた、さきほどの番屋とはなにか違う。朝まで飲んだ足じゃ裏のそびえたつ知床岳には届かないし、ヒグマもいるだろう。腑に落ちないものを感じながら船に揺られていた。

しばらく行くと、オホーツクに向かって棘をさした岬の先端に港と番屋があった。裏は山が落ちてササが茂った、なだらかな丘陵地帯だ。小高いところには灯台がある。ここなら登れそうだし、見える。歌にピッタリだ。まちがいないと発見に満足した。以来ずっとそう信じていた。

山崎努さんの「私の履歴書」(日経新聞)。映画「地の涯に生きるもの」のある場面で、森繁さんがえんぴつをなめなめ描いたのが「知床旅情」だと知った。ロケ地は羅臼だったらしい。

羅臼?反対側じゃない。歌詞をみなおした。3番に、

「別れの日は来た ラウスの村にも
 君は出てゆく 峠をこえて」

なんだ、羅臼じゃないの。それだと国後島は目と鼻の先、「丘にのぼ」らなくても見えるかもしれない。そうか、岬の先端の番屋じゃないのだ。

「今宵こそ君を 抱きしめんと
 岩かげに寄れば ピリカが笑う」

抱きしめる相手はあの番屋までは来ないよね。わたしの発見はオホーツクに消えました。