#220『「死ぬ瞬間」と死後の生』エリザベス・キューブラー・ロス
久しぶりの再読。このヒーラーという仕事、年を経れば経るほどに、著者から学ぶことの多さを認識する。自分の人生にもこの仕事にも依然として迷いというか謎が多いが「やはりこういうふうにしかなりようがないんだよな」ということを改めて今回確認させられた。
いくつか引用する。
「私たちが悲劇と思っているものも、私たちがそれを悲劇にするから悲劇なのであって、成長のための好機と見なすことだってできる」
「人を愛し人に奉仕する人間になれるかどうかは、自分自身の悪い面、悪い方へ向かう可能性を直視できるかどうかにかかっている」
「多くの人は恐怖のために、生きるエネルギーの90%を費やし、日常生活の選択をしている。自然な恐怖(高所と爆音)以外に何一つ恐怖のない生活ができれば人生をフルに生きることができる」
「あなたは蝶みたいなもの。鏡に映っているのは繭。それは本当のあなたにとって仮の住まいに過ぎない」
「(人生という)この学校には先生はいない。いるのはいろんな学年の生徒だけ」
「他の誰かを打ちのめすことで誰かを救うことはできない」
次などは、まさにこの数日で得つつある学びそのものだった。
「愛と肯定の気持ちで包まれると、どんな「嫌な奴」も変わります。そして一番の「嫌な奴」こそ、あなたの愛を必要としているのです」
今年に入ってから、僕は自分の生き方、在り方、仕事の仕方について深い再考と熟考を促されていた。自分なりに、答えは出つつあるように思うが、状況が目に見えて変わるまでは「合格」ではないだろう。ただ、自分が他者に対してできる貢献、というと、やはり「親」と「神」に関する問題である。「親から愛を受けなかった人」はどうしたら立ち直ることができるのだろう? 自分はどのようにそのことに関して貢献できるだろう? そもそも自分自身がその問題を克服・解決しているか?
それが僕のテーマであると思う。
「最大の嘆き、それは「経験することのできなかった愛」に対する嘆きです。それは失ったものに対する嘆きよりはるかに大きなものです」
一方で、反論、疑念、保留もないではない。ここはいかなキューブラー・ロスとは言え白人のお家芸というもので、何もかも明晰に説明し尽くそうとし過ぎている気がする。
・本当に神だけの世界か?
・本当に人間は霊的達成だけを望んでいるか?
・本当に起きるすべてのことが学びか?
・本当に学び終えるまで生は終わないのか?
・本当に意味のない偶然はないのか?
最終的に著者が大往生を遂げられなかったことは、彼女の説にどこか無理があったからなのではないかと僕は考えている。また、日本人には日本人用の、現代における霊的ガイドブックが必要なのではないかとも思っている。なんとか、自分がその一翼を担うことができたら良いのだが。
しかしともあれ、とても素晴らしい本である。
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