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やっときました第10回 疑うことの重要性

世の中で自分のことを最も信用しておらず、日々自分を疑い続けている筆者のojigyuです!

さて、今回は疑うことについて!
「疑うなんて良くないよ」と思った人、生粋の日本人ですね⤴️
それは、それで本当に大切なことです。
でも、やっぱ疑うことも大切ですよね⤴️と思ってちょっと書いてみました😄
あ、ちなみに人を信用するなっていう記事ではありません。

トイレのスリッパ

みなさん、このスリッパを見たことありますか?見たことないという人のために一応説明しておくと、体育館シューズを履いたままこのスリッパを履いてトイレに行くことができる「シューズ履いたままスリッパ(勝手に命名。センスなし。)」という大変素晴らしいスリッパです。体育館などでシューズを履いてスポーツをしている最中にトイレに行くとき、シューズを一度脱いでスリッパを履き、もう一度シューズを履き直すという行為はかなり大変です。ゆえに、このシューズを履いたままスリッパというのはかなり画期的なアイデアで、ある意味イノベーションだと思います‼️このスリッパ自体には1ミリたりとも文句はなく、むしろ、考えついた人には尊敬の念すら覚えています。

そもそも

ただ、ちょっと待ってください。そもそもトイレのスリッパってなぜ履き替えるんでしょう?
そう、おそらく汚いであろうトイレの床を踏みしめる自分のシューズを汚さないため。そしてその後そのシューズで踏みしめる体育館の床を汚さないため、ですよね?
要するに汚くならないようにするというのが目的なわけで、けっしてスリッパに履き替えることが本来の目的ではないわけですよ。

では、ここで考えてみてください。
おそらく、トイレというところは他のところに比べて入念に掃除をされているのではないかと思います。(たとえば空港の中で最も汚い場所はトイレではなく、荷物検査の際に使用する「かご」なんだそうです。むしろトイレはキレイな場所らしい。)
そして、トイレ掃除の度にこのシューズを履いたままスリッパを毎回洗うことはないと思うんです。
ということはですよ、かなりの頻度で入念に掃除されているトイレの床と、あまり洗われることのないシューズ履いたままスリッパのシューズとの接地面と、どちらのほうがが汚いんでしょう?

調べたわけではないので答えは分かりません。

前提を疑ってみること

僕が言いたいのは一度前提を疑ってみませんか?ということ。
ここではトイレではスリッパを履く、ということが前提になっています。
ゆえに、それを疑うことなくシューズ履いたままスリッパを利用してしまうと、この前提はクリアされるので問題はクリアされているような気になります。
しかしながら、そもそもの大前提であるシューズと床を汚さないという問題は果たしてクリアできているんでしょうか?
もしかしたらシューズ履いたままスリッパを履いたほうが汚いかもしれないという思考回路に一度なってみることも必要ではないかと思うわけです。

前提破綻

こんなこと、たくさんあります。
トイレ繋がりで言うと、トイレでは手を洗わなければいけない問題。最近は蛇口を捻る必要のない自動水栓が増えてきたのでこの問題も少なくなってきましたが、蛇口を捻るタイプの水栓の場合、手を洗った後に蛇口を捻ったときに手を洗う前より圧倒的に多くのバイキンが付着してしまうという前提破綻が起こっています。

究極の前提破綻が現在(令和2年2月)起こっているマスク品薄問題。某ウイルスに感染したくないという人が大量に買い占めているのが品薄の原因のひとつだとか。(転売目的の大量買い占めは論外)
感染したくないのであれば、感染している人、感染の疑いがある人にマスクをしてもらう方が自分の感染リスクは下がるはずなのに、自分がマスクを着用することが前提になってしまっています。
結果的にはそれが自分の感染リスクを上げてしまう可能性があることを考えておらず、最終的に感染が収まらないのでなんの問題もクリアできていないという現実に気づいているんでしょうか?

世の中には前提や前提を何の疑いもなく信じて行うことで相当な無駄が生じている、もしくは逆効果になってしまっていることが多々あるように思いまう。「今までもそうだったから」、「いつもやっているから」、「みんなやっているから」等々の理由で、本当に必要かどうかを吟味するという最も大切なプロセスを経ることなく行われていることがあまりに多くないですか?

過信

ちなみに、こんなこともあります。
「そんなこと聞いたことがない」「私の経験上」などと言って新しいことには耳も貸さない人。みなさんのまわりにはいませんか?

残念なことにこのセリフを恥ずかしげもなく他人に堂々と宣う人間は、まあまあ権力を持っていることが多いので、結果的に何も前に進むことなくただただ時だけが過ぎていくという罪深い組織を創り出してしまっています。そんな組織、全くおもしろくはないんだけれど、何か大きなトラブルがその時に起こるわけではない(そう遠くない未来には取り返しのつかないことになってしまうのだが)のでそこに所属する人たちも何も言えずにただただ同じことを繰り返す。

この情報があふれかえっている時代に、自分の知見や経験をひけらかしている人たちは、もはや哀れとしか言いようがありません。

やっぱり教育の問題

これ、結局はいつもここに行き着いてしまうんですが、教育の問題なんですよね。

何の疑いもなく学校に行く子どもたち。
チャイムがなってまたチャイムがなるまで何の疑いもなく席に着く子どもたち。
疑いはあるんだけど、大人たちの狭い了見で省みることなく昔からあるというだけの校則という名の拷問に従うしかない子どもたち。
そして、その社会をうまく生き抜いた者たちだけが成功して実権を握ってしまう世の中の構造。

学校教育によって動物園にいるフラミンゴのように(知っているとは思いますが彼らは翼を切られて飛べないようにされています)翼を奪われている子どもたちにはこの社会を変えるだけの力はありません。(若者に力がないというのは、本当に悲しいことなんですが。)

そろそろ大人たちが本気で変えなきゃ、いや、そもそも変わらなきゃ‼️ですよね‼️

大切なのは本当に必要かどうかを前提に立ち返って疑ってみること。一周まわって結局必要であればそれはそれでいいんです。
ただ、一周回らないことのほうが結構世の中には多い気はしますが(笑)

以上でーす。

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